小泉に国家観はあるのか

西村幸祐氏の「酔夢ing Voice」において、西村氏は小泉総理の政策の一貫性の無さ、その不思議さを述べている。

中山内閣参与の突然の辞任劇は1日経っても大きな衝撃を与えている。「小泉って人は何を考えているのか本当に分からない」とある拉致被害者家族は私に言ったが、殆どの国民もそう感じているはずだ。何が分かりにくいかと言うと、官邸に川口元外務大臣を引き入れて拉致問題北朝鮮外交に腰砕けの対応を見せながら、文科大臣、外務大臣にはそれなりの人物を配し、後任が懸念された経産大臣も中川大臣を留任させた。とにかく首尾一貫していない。小泉純一郎がどんな国家観で、どんな外交戦略を描いているのかピクチャーが見えない。昨日書いたように、もし小泉外交が大きく北との国交正常化にシフトするなら、それらの大臣人事はただの目眩しに過ぎない。わざとピクチャーを見えにくくするためにレンズを曇らせているかのようだ。

同じような疑問を抱くadoruke626氏のブログのコメント欄に、以下の文章を寄せてみた。

自分はこう考えております。
小泉という男は「自分が主役で、ひたすらスポットライトを浴び続け、人々の賞賛を得たい典型的な自己陶酔型な人間」だと。
だから「憲法改正を主張する事」「靖国参拝する事」「特攻記念館で隊員を想い涙を流す事」「シベリアで日本俘虜の墓地に膝まづいて献花する事」「郵政民営化をブチ挙げる事」「北方領土の視察をする事」と、
北朝鮮と国交と結ぶ事」「二島先行返還論を言い出す事」「戦没者追悼式において『日本がアジアの人々を苦しめた』と謝罪の意を述べた事」は“小泉の中では”何ら矛盾しないのです。なぜ拉致被害者全員の救出より、国交正常化を優先させるのかというと「その方がカッコ良くて、歴史にも名前が残るから」でしょう。全ては己を飾る小道具、己をカッコよく演出してくれる舞台があるなら何にでも飛び付くという習性を存分に発揮しているだけなのです。
だから国家と国民への忠誠心や首相の責務なんてのは元より小泉の中には存在せず、確固たる政治理念が無いから「靖国15日参拝」に圧力をかけられると挫折してしまう。ただ中国の圧力で参拝を止めてしまうと“カッコ悪いから”→“じゃあ間を取って13日に前倒し”という決断をするのです。私はその前倒し参拝を聞いた時から既に「ああ、こいつはダメだな」と思っておりました。まだその時には「それでも公式参拝をしたんだから前進したんだ」という賞賛をする保守の方がいましたが、何か大きな勘違いをしているのではという気がしていました。その時、石原都知事は「足して二で割るような事はするな」と苦言をしていましたが(言っちゃなんだけど石原も小泉に似たタイプ)、まさにその通り。「道路事業の改革」も結局は尻すぼみで終わりました。まあそれもあって、最後の砦としての「郵政民営化」「拉致被害者を切ってでも北朝鮮と国交樹立」で注目を集めるしかないのでしょう。ですから、こんな人間が首相を続けるのは橋龍やトンちゃんよりもよほど危険なのです。それは幾人かの保守系評論家がかなり以前より指摘している事でもあります。