首相「歴史反省とお詫び」アジア・アフリカ首脳会議 村山談話引用 異例の繰り返し

(http://www.sankei.co.jp/news/evening/23iti001.htm)

植民地主義を提唱しアフリカ諸国の独立運動に影響を与えた「バンドン会議」(一九五五年)の開催五十周年を記念するアジア・アフリカ首脳会議が二十二日午前、インドネシアジャカルタで開幕した。一回目の全体会合では、小泉純一郎首相が演説し、平成七(一九九五)年の「村山談話」に立ち戻った形で歴史認識に言及し、あらためて過去への反省と謝罪の意を表明した。最近のぎくしゃくする日中関係などへの配慮とみられるが、日本の首相として、異例の「お詫(わ)び」の繰り返しとなった。
 
小泉首相は演説の中で、「わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」としたうえで、「こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻み」と、「村山談話」と同じ表現で、日本の戦前、戦中の歴史を総括した。

ここ数週間の反日暴動に対する謝罪と賠償を中国政府に求めていたはずが、いつの間にやら日本が謝罪する側に。何だそりゃ。圧倒的な政治的優位に立ちながら、まんまと「小泉の靖国参拝」「つくる会歴史教科書の採択」の是非に論点がすり変わってしまった。これが口だけ小泉政権の外交クォリティ。もうすっかり慣れきってしまったが小泉信者のカルト的妄信、サヨク返り的擁護は相変わらず健在です。2chや小泉信者系サイトで見掛た書き込みを一部抜粋。

今までの謝罪は日本と中国の2カ国間で行われていたもので 中国国内ではそれを歪曲し、国民は知らされていないわけだから今回のように、国際会議の場で発言したというのはなかなか意義があると思う。今までの第三国の報道は、中国の暴徒(又は政府)を批判する記事とともに日本に対し、歴史を直視せよとあくまでも建前上 中立を確保した報道なり、社説だったりしたが日本側はその態度を改めて世界に示し国際社会にアピールしたのは非常にうまいと思う。
 
謝罪に関して、今まで(BBCの伝えたのは17回)してきたのに、まだ何故するのか?という批判もなるほどもっともなことだが、外交戦略ではむしろ褒められるべきことだ。社民党議員のいうような、自虐的で一方的な、ひれ伏すような、自国のプライドを無にするような姿勢での発言であれば徹底的に叩かれるべきであるが今回の外交戦略は非常に良いと思う。

素人目には分かりにくい、高度な外交技を日本が使っているせいなのか、それともここの住人のレベルが低いせいなのかは分からないが、少なくとも俺は、小泉が高度な外交業を使ったためこの演説が歴史の転換点となることを願っている。

やっぱ小泉は一級の釣り師だな。

今日本が悪くなかったという態度を見せたら、200%の確立で、国際世論は日本に背を向ける。強行にやればいいというものではない。日帝=悪の図式は、国際的にはもう動かせない事実として流布してしまっていて、その認識を変えるにはまだまだ当分時間がかかる。
 
どのみち、常任理事国入りに際して、「謝罪しない」という選択肢は日本にはなかった。
 
どうせ謝罪しなくてはならないのなら、できるだけ中韓にダメージをあたえ、常任理事国入の味方を増やす方法とタイミングを選ぶのが最良の選択だった。
 
その意味では、今回の謝罪は最高のタイミングだった。

「謝罪するな」と怒っている人もおられますが、今までの謝罪は、日中や日韓の間だけの話でしたから、謝罪の明文化などを避けられてきたけれど、このように中国と韓国がいる国際会議の場で、国際的に改めて謝罪を表明することにより、中韓以外のアジア諸国やアフリカ諸国にも日本の意思を示すことができたわけで、謝罪したという行為が、初めて第三者の目の前で公正で明確な形に残ります。更に、村山談話を引用したという事は、日本が既に謝罪済みだったというメッセージを発信していることにもなります。まだ日本が「過去17回も謝罪した」ことを知らない国があるし、「日本は一度も謝罪してない」 と思っている国もありますからね。これ以上、中国や韓国に文句を言われる筋合いがなくなりました。
 
これでも、また中国や韓国が謝罪しろとか文句を言ってきたとしても、国際的世論は日本の味方となり、逆に中国や韓国の孤立を招くことができます。

もうアホ丸出し
高学歴、頭脳明晰、変人とまで言われたなんだかんだ言って穏健派の
小泉が、側近のブレインどもと考えに考え抜いた策だよな
 
どーも謝罪って言葉に子供みたいに反応してるらしい
アレルギーというか、脳みそ小さいんだろうね
将棋なんかやったら2手先も読めない

この段階で過去の政府見解を個人の一存で変更することが困難である以上、聞かれれば誰が首相であっても同じことを言わざるを得ない。政府見解なり政府声明はそれなりに重いものであって、どこかの国のように二転三転するようでは信用を失う。政権維持のため、社会党左派と結託し、村山談話を容認した当時の自民党幹部(河野?)の責任は重いと言わざるを得ない。
 
ただ、日本側としては村山談話を逆に利用するべきだと思う。極東三馬鹿が「謝罪しろアル!」「反省が足りないニダ!」と言ってくるのは変わらないんだから、「過去に村山談話出して謝罪も反省してるでしょ。じゃーね。」と言ってあとは放置しておけばいい。その上で、日本は己の道を進めばいい。多くの日本国民が村山談話にシンパシーを持っていないんだから、村山談話中韓に対する口封じのネタ(中身は無い)として考えればそれなりに利用価値はあるのではないか。

冒頭の首相演説に戻る。他国に強いられるようにして行うお詫びの演説は、すっきりしないけれど、しかし、それだって10年前に、ときの村山首相が行ったもの。

そもそも日本には「負けて勝つ」――なる言葉がある。ある人によると、この「負けて勝つ」は、他国にはない考え方という。

華僑がバイブルとする兵法、交渉術のエッセンス、「三十六計」の最後に、「走為上(そういじょう)」の策、日本流の成句で「三十六計、逃げるにしかず」があるが、負けて勝つ、とは大きく意が異なる。

何と表現したら良いんだろう。彼らの思想は、やはり宗教の域に達しているのではないか。それには論理などいらない。後付けで幾らでも理由を作り上げて褒め称える。教義らしい教義と言えば「小泉の行動は全て好意的に解釈する」という事なのだろう。「村山談話はただの“自虐”、小泉談話は見事な“戦術”」という書き込みも見つけたが、心底ゾっとしたね。まるで「共産主義圏の核はキレイな核」のような物言いだな。
 
彼らは本気で、戦前の日本の行為“謝罪”すれば全てが終わると考えているのだろうか?これ以上、あの異常国家の中国や韓国が文句を言わないと思っているのだろうか?文句を言ったとして、その行為を諸外国が咎め中韓が逆に不利な立場に追い込まれると予想しているのだろうか?ハッキリ言って、この発想こそがまさに戦後民主主義的なナイーブさを示しているのだと思う。
 
「謝って許してもらえると思っているのか」という言葉は逆に、「誠心誠意涙を流して謝れば許してくれるはず。そこまでした者に対して責めるのは酷だ」という日本人独特の感覚が染み付いたものであり、その独特なものを外国人に求めようとする事は愚劣な行為だ。“謝罪”をするという事は、同時に“賠償”をすべきという結論になる。これがごく当然の世界標準の考え方だ。「謝罪は謝罪、靖国参拝はそれとは別」などという考え方は通用しない。むしろ「日本から金を貰いたかったら、過去の事をネタに暴動でもテロでも何でも起こせばいい。ちょっと脅せば勝手に謝罪して賠償金まで払うのだから」という誤ったメッセージを送ってしまった。
 
偶然見つけたサイトだけど、この解説は面白いね。
◆すぐに謝る国、絶対謝らない国
「日本人がすぐに謝るのは、罪と罰に関する独特の感じ方があるからだ。」
(http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=0367&FN=20050417000000)
 
そもそも「日本が国際会議の場で謝罪した」事を誇らしげに、まるで小泉が功績を成し遂げたかのように語る人がいるが、それに近い事はとうの昔に行なっている。小泉と対比させて批判の材料にしているあの村山富市が首相の時、東南アジア諸国を外遊した際にはこんな事があった。
◆村山首相・土井たか子議長への一喝
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog198.html)

平成6(1994)年8月下旬、村山首相は訪問先のフィリピンとシンガポールで戦争責任問題について謝罪した。その村山首相をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出した。 

日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして欲しい。

また村山首相の6日前にマレーシアに到着した社会党土井たか子衆議院議長が「二度と過ちは繰り返さない」「歴史への反省」などと口にしたのに対し、「過去の反省のために日本が軍隊(PKO)の派遣もできないのは残念だ」と切り返した。「ダメなものはダメ」とおよそ非論理的な姿勢でPKOに反対する土井議長に対する痛烈なパンチであった。

親日家である当時のマレーシア首相のマハティール氏が「日本の倫理観や勤勉性を見習え」という掛け声で始めた「ルック・イースト(東方)政策」は有名であり、このエピソードに関しても保守系論客を名乗る者なら知っていて当然の事実である。悲しい事にこれほどのエールを受けながら、政権が変わる度に“謝罪”を繰り返し、頭を押さえ付けられたような情け無い外交を更に10年以上も繰り返してきた。その熱い期待に応える事なく、全く成長する事なく、再び中国の元で頭を垂れようとしているのが、今回の小泉の謝罪外交ではないか。台湾の李登輝元総統を含め「日本に真の自立」「暴虐なる中共に立ち向かいアジアをリードしていって欲しい」という切実な願いを持つ人々はアジア各国にいる(半島を除く)。その想いを切って捨てるような幼稚な国家指導者など必要無い!
◆首脳会談へ条件提示=閣僚の靖国参拝見合わせ−胡主席が最終決断へ・中国筋
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050422-00000551-jij-int)
しかも胡主席サマにお目通りを願う為に、閣僚の例大祭参拝を生贄にして朝貢外交か。聖徳太子が隋の皇帝にあてた「日出る処の天子書を日没する処の天子に致す」という親書を送ったのは一体何年前だと思っている!?歴史に学ぶ、ったぁこういう事だよ小泉信者。
 
何が“見事な小泉の戦略!”だ。何が”中国を逆に追い込んだ”だ。寝言は寝てから言うがいい