引越し当日

この文章を書いているのは前日なのだが、運送業者が来るまで後9時間。全く部屋の荷物は片付いて無い。ヤバイ。不眠不休でやるしか無い。それでは皆さん、しばらく間さようなら。まあ、日記は毎日付けると決めているので、隙を見て一行でも書いておこうと思いますが。んでわ。おっと今度はホントに引っ越すから。4月1日に書いた日記を本気にして「え、まだ自由が丘にいたの?」というリアル友人がいたもので。
 
あ、最後に西村真悟時事通信を一部転載しておきます。
◆眞悟の時事通信平成17年4月29日「不可解な、村山談話の朗読」
(http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi)

犠牲者搬出に四日以上もかかった悲惨な列車事故と並行して、我が国政治が不可解な一面を見せている。
  
それは、小泉総理大臣による「村山富市談話」の朗読である。
 
中国におけるいわゆる「反日デモ」による日本大使館等の破壊に対し、町村外務大臣が、北京で「謝罪と賠償」を要求した。これに対して中国側は、反日デモの責任は侵略戦争を反省しない日本にあり、中国には責任はない、と詭弁を弄していた。外務大臣は北京で「外交」をしていた。その時総理大臣は、南のインドネシアのバンドンで、「村山富市談話」を朗読し、「我が国は、一時期、侵略戦争によってアジアの皆様に耐え難い苦痛と損害を与えたことを反省して謝罪します・・・」と言っていたのだ。北京の外務大臣の存在が消去された。
 
私は、この総理大臣と外務大臣の、バラバラの言動に、極めて異様なものを感じたのである。総理は、国益とか国家の誇りと品格の観念を意識せず、個人の思いこみだけで、外交に臨んでいるのではないか、と。この異様さは、田中真紀子氏が、外務大臣の時に感じた異様さに似ている
 
北京の日本大使館に対する破壊行動は、明確に中国側の責任である。しかしその責任を被害者である日本にすり替える論理は、「日本が悪い国であるから」というものである。そして、総理大臣は、インドネシアで、「日本は悪い国でした」と言ったのである。そして、この総理大臣の談話の後は、どういう訳か、外務大臣の北京での要求は、背後に退いてうやむやになっている。しかし、いやしくも、国家の外交である。これでいいのか。私は、先のこの時事通信で、「賠償要求がポイントである」とアメリカの例を引いて述べたと思う。
 
そこで、村山富市談話とは何か。小泉総理大臣は、八月一五日の参拝断念後の靖国神社参拝の後にも、この談話を引用した所感を発表していたし、この度のバンドンでも朗読したのであるが、果たして、歴代総理大臣が拳拳服膺すべき権威ある談話なのであろうか。
 
この村山富市談話は、戦後五〇年の国会謝罪決議の後に、突如発表されたものである。それまでの歴代内閣は、歴史に対する評価は後世に任せる、総理大臣が、良かったとか悪かったとか公表する問題ではない、との態度であった。そのなかで、村山富市総理大臣が、我が国の歴史は悪かったので反省して謝罪するとの談話を発表したのである。
 
これこそ、総理の立場を私し、その立場を利用したイデオロギーによって歪められた個人的妄想の表明に過ぎないのだ。
 
一九九五年、平成七年、内閣は自社連立の社会党内閣であった。社会党は、先の細川内閣で与党となり大臣病患者が大量に発生する。そして、その病状につけ込まれて自民党との連立に走り、自民党は与党に返り咲くのである。その与党返り咲きのために、自民党社会党的左翼的妄想にすり寄り同調するのである。即ち、日本は悪い国だから、戦後五〇年を契機に、国会で謝罪決議をするということになる。
 
以後、詳細は省略するが、私また多くの野党になった同志は、謝罪決議阻止のために行動を起こし、自民党のなかにも阻止に立ち上がる者が出てきたのである(尊敬すべき同志であった)。その結果、当時の野党新進党と与党自民党とも、謝罪決議の本会議に臨めば、分裂した採決になるという状況になった。
 
そのような緊迫した状況になった金曜日の夕刻、今でも不可解であるが、新進党議員に対して、党国会対策幹部から、「本日は本会議が開会されないので各自選挙区へお戻りください」という伝達があった(この幹部は、現在の自公連立の一員である)。よって、私どもは、新幹線や飛行機で帰省し始めた。
 
すると、謝罪決議阻止派が東京からいなくなったのを見届けてから、土井たか子衆議院議長は、午後七時前に本会議開会のベルを押した。その結果、本会議は大量の欠席者があったものの,強引に開会され、出席者の全会一致で謝罪決議は衆議院で採決されたのである。
 
本会議開会のベルが押されたとの連絡を受けたとき、私は新幹線で浜松付近を走行していた。そして、名古屋で列車を降りて乗り換えてまた東京に引き返した。しかし、とっぷりと暮れた国会は、ライトアップされているだけで、もぬけの殻であった。「ちくしょう、だましやがったなー」と地団駄を踏んで国会を見上げた。その直後、私は、「夜陰に乗じて、衆議院決議を窃取した卑劣な輩」と社会党内閣を非難する報告書を同志に送った。
 
だが、我々の、国家の名誉と英霊への忠誠をかけた謝罪決議阻止の行動により、謝罪決議は窃取されたものの、参加者少数の権威なき決議になったのである。さらに賛成した議員でも、謝罪決議の内容を覚えているものはいないであろう。つまり、社会党内閣存続のための自社首脳の保身からでた権威亡き決議、欠陥決議、外交上引用できない決議、となったのである
 
そこで、登場してくるのが。村山富市謝罪談話である。即ち、あくまで、我が国家を謝罪させねばならないとの妄想に駆られた村山富市という老いた左翼が、総理大臣の地位にあることを奇貨として、衆議院本会議決議の欠陥を補うために苦し紛れに発表したものが、村山談話なのだ。
 
この村山談話に対して、マレーシアのマハティール首相は、はっきりと、「日本は謝る必要はない」と異例のコメントをした。また、同じマレー語のインドネシアスハルト大統領が、如何なるコメントをしたかは知らないが、彼は、日本軍が教育したインドネシア独立義勇軍の一員で、大統領になったとき、独立義勇軍時代の教官であった日本に住む土屋大尉に電話をかけて、「教官殿、私は大統領になりました」と報告した男であったのだ。マハティールと同様に、村山談話の謝罪に首を傾げていたことは明らかだ。さらに、スハルトの前任者であったスカルノ大統領は、昭和二〇年八月一七日、ジャカルタの野村海軍少将の自宅でインドネシア独立宣言書を起案し、しかも、独立宣言の日付に、西暦ではなく我が日本の皇紀二六〇四年を使用した大統領であった。
 
そのスカルノ大統領が、開催したバンドン会議五〇周年の席上で、我が総理大臣は、あの村山という老人の妄想を朗読したというわけだ。
  
村山氏といい小泉氏といい、知識がない、不勉強だという前に、政治家なら最低限持つべき、国家・お国に対する「忠誠心」が欠如しているのではないか。忠誠心のレベルに達しなくともよい、
 人間として、国民として最低限のお国に対する「愛」もないのか。
 
以上、村山富市談話を、現総理大臣が権威あるもののように外交の場で朗読する風潮を憂い危惧して、述べた。
 
私にとって、謝罪決議阻止は、忘れ得ないことである。一〇年前の衆議院の謝罪決議と村山談話は、我が国の国益を毀損し続けている。我が国周辺は、謝れば済むという文化ではない。謝れば、ますますつけ込んでくるという文化なのだ。それは、北朝鮮、韓国、中国の現在の言動で証明されている。これらは、謝れば謝るほど、嵩に懸かってきているではないか。この度も、中国の駐日大使が、自民党内で講演し、内政干渉も甚だしい靖国神社参拝非難を堂々と述べると共に、中曽根内閣以来、靖国神社を参拝しないとの日中の協定があるとの発言をした。この国家の沽券に関わることを言い放たれるのも、今まで謝罪してきたからだ。一〇年前から、私はこのことを指摘して不用意な謝罪は、国益を損ねると言い続けてきた。即ち、福沢諭吉の「脱亜論」をこそ読み返し、先人の苦労と経験に学び直すべき時なのだ。
 
ともあれ、靖国神社を参拝しない協定があったと駐日大使が自民党で言い放った以上、我が国は外交文書を公表して、そのような協定があったのかないのか、駐日大使が嘘をついているのか否か、日本側に売国奴がいるのか否か、断じて明らかにすべきである。
 
現在、政治情勢は与野党とも内部バラバラで解らないと、評論家諸氏は解ったように政治を嘲笑して言う。しかし、自分が基準を持たずに解るはずはない。一度、謝罪決議と村山富市談話に賛成か反対かで点検してみるとよい。与野党縦断して明確に分類できるはずだ。マスコミも、労働組合も、評論家も、この基準で分類すれば、日本はどれほどすっきりするか。政治家を笑っているが、これらほど「どっちつかず」なのだ。
 
そして、この国家観と歴史観に基づく分類によって政界を再編しようとするのが私の志である。
 
激動と慟哭のご生涯をもって祖国日本を支えられた昭和陛下のお誕生日に記す。