で、あんた達本当にソレの中味を吟味したの?

一昨日の日記(id:kikori2660:20060909)の続きという事で。
 
実は今晩になってから、小林よしのりがネットの保守派に共闘を呼び掛けたというSAPIO9/27「ゴー宣・暫」を本屋で買いました。ネットではその事を読者に訴えるコマを画像では見ていたのですが、どういった流れで「今後、講和条約第11条の件でデマを流している知識人がいたら ただちにネットで攻撃してくれ。」となったのか、そもそもどのような論理で「SF条約11条のjudgmentsとは“裁判”ではなく“諸判決”の事だ」と主張を始めたのか、分からなかった。
 
再び転載。
◆孤高『小林よしのり氏 「今まではネット右翼を批判してきたけど、これからは共闘しよう」』のコメント欄
(id:myhoney0079:20060906#p2)

# Apeman 『まさに箸にも棒にもかからぬ愚論ですね。詳しくは私のエントリをご覧下さい。』 (2006/09/08 18:03)
 
# 野良猫 『すると、Apemanさんは裁判の被告側に立たされて判決を受けた際、検察側の主張や判決内容まで被告側が受け入れたって考えてる訳なのか。
 それって東京裁判は特例だと言いたいのか、一般的な裁判はみんなそういうものだって考えているのかを知りたいところですね。
 そのへんもSAPIOに載ってるので、Apemanさんにはそれを読んでもらった上で改めて問題点を記事を書いてもらいたいな。よろしくお願いします。』 (2006/09/08 19:09)
 
# Apeman 『くだらない。「受諾」ってのは「納得する」という意味じゃないんですよ。それともなんですか、野良猫さんは自分が裁判(刑事でも民事でもいいです)で最高裁までいって敗訴したとして、「俺は判決は受けいれるが日本の裁判所や判決理由は認めない」と発言すれば、それがなにかしら法的な意味を持つとお考えなんですか?
なお、「裁判を受諾する」ことは必ずしも「検察側の主張」を受諾することにはなりません(これこれの主張が検察によってなされた、という事実はもちろん受諾したことになります)。判決が検察側の主張を全面的に採用するとは限らないからです。現にA級戦犯の裁判でも、一部の訴因では無罪の判断が下されています。こんな初歩的なことすら誤解しているとは!
ちなみに『SAPIO』はちゃんと立ち読みしましたよ。』 (2006/09/08 19:25)

そして前回、人気エントリーとしてid:Apeman氏と同時に取り上げた愛・蔵太氏がこの件について触れている。
◆愛・蔵太の少し調べて書く日記『「サンフランシスコ講和条約のjudgmentsは諸判決であって裁判ではない」って、いつ誰がどこで何時何分何秒に言った」』
(id:lovelovedog:20060914#judgments)

ぼくは、世間で声の大きい人に従うことは、左右問わず頭の働かせ具合を少し怠けている人に限定されている、という認識があるので、そのあたりの展開に興味を持ちました。
 
ぼくがさらに興味を持ったのは、「講和条約第11条の件」で、小林よしのり氏が「その中のjudgmentsは『裁判』ではなく『諸判決』だ」みたいなことを言っているわけですが、それはそもそも誰が言いはじめたことなのか、ということでした。

そして、最初の議論の発端となったブログ主さんの意見。
◆孤高『「judgements => 裁判」は誤訳ではない』
(id:myhoney0079:20060910#p8)

日本が11条により受諾したのは、あくまで極東裁判所によって下された「裁判」である。法律用語でいうところの「裁判」と連合国法廷という意味での「東京裁判」がごっちゃになってる感がある。結果的な意味としては間違ってはいないのだろうけど、正しい言い方とはいえない。

購入したにしろ立ち読みで済ませたにしろ、賛成派にしろ反対派にしろ傍観派にしろ、これらの全ての方は「ゴー宣・暫を読んだ」とおっしゃっているわけですけど。
 
・・・・・・ホントに皆さん、内容を吟味した上でおっしゃってます?

 

ちょっと画像は小さいんですが。すいません。小林は確かに「日本は裁判を受諾したわけではない」と言っているけれども、それ以前の前提として『当事者を拘束するのは「主文」だけである。「判決理由」には既判力はない。これは文明諸国の法の一般原則である。』『「判決」を受諾することが「判決理由」を認めたことになるわけではない!』と述べているんですね。今回のゴー宣はむしろ、この部分がメインの筈ですよ。どうして皆さん、そこを飛ばして議論されているんですか?
 
ですから、小林に反対する方々が始めた『「サンフランシスコ講和条約によって日本が受諾したのは戦犯裁判の判決だけで、裁判そのものではない」という主張を「箸にも棒にもかからぬ愚論」と評するキャンペーン』というのは、とんだ的外れの愚行、という事になります。もし、その運動を続けたいのならまず、小林の『日本はあくまで「判決主文」には従ったのであって、「判決理由」にまで従って東京裁判史観まで強制されるいわれはない』という主張にまず、反論すべきです。
 
東京裁判を日本の民事裁判に喩えるのには無理がある」とか「判決理由も、判決の重大な構成部分なのだから重視すべきだ」という反論でも何でも良いですよ。そこから始めてみたら?今回はいくらなんでも色々酷過ぎる。謝罪と賠(ry・・・まあ、かく言う私も今晩になって初めて今週号のSAPIOに目を通したわけですけどね(エヘ)。
 
ところで「てっく」さん。今回のゴー宣は、めちゃめちゃ麻生太郎の批判をしているわけですが、そこについては全然触れてないですよね。どうして?