今頃「風立ちぬ」感想

以下は、映画を観た直後にツイッターで呟いた感想をまとめたり、その後抱いた感想。
 
 
風立ちぬ」鑑賞後、宮崎駿が「永遠の0」に対して批判的*1なのも、分かった気がする。「風立ぬ」の中では、ヒロインは「美しい姿」しか見せなかった。自分を投影した主人公に対しても「美しい飛行機を作りたかっただけ」という、戦争そのものに積極的に関わったのではないというスタンスを強調した。日本が第二次世界大戦に突入していく歴史の中で、国軍の礎となる重要な兵器を生産していく軍事産業会社の現場トップであるにも関わらず、だ。国費でドイツを初めとするヨーロッパ各国の軍備に追いつき追い越す為に留学させてもらっていたのに、映画後半になるとゾルゲもどきの外国人と交流させ、そのせいで特高に追われたり、会社の計らいで身を隠したりと、もう滅茶苦茶である。そもそも零戦の開発者の堀越二郎と、文学者の堀辰雄を融合させる事に無理がありすぎた。
 
ではそこまでして、描きたい、いや描きたくない事とは何だったのか。端的に言うと「国家」の存在ではなかったか。
 
そう考えると、何故宮崎監督が「永遠の0」に対して批判的なのかが分かる。自分が徹底的にスポイルした、零戦の「美しくない部分」をむき出しにしたと考えたからだ(だが恐らく内容はろくに知ってまい)。「永遠の0」は零戦の神格化などしておらず、全体的にはむしろ反戦的なストーリーと言ってもよい*2。だがその事実はどうでも良く、零戦と自分を汚されたという思い込みがあったのではないか。
 
映画全編を通して、強調されるのは「美しい飛行機を作りたい」主人公と「美しい姿だけを主人公に見せたい」ヒロイン……という事になっている。しかしそれは「(宮崎監督が考える)美しいものだけを見せたい」、裏を返せば「醜いもの(=国家)は見せたくない」という事だ。だから、先日のネットにおける「風立ちぬ」評論の中でも、左寄りの側からも批判が出るのだろう。
 
この映画の原作は、自身のマンガ「風立ちぬ 妄想カムバック」(月刊モデルグラフィックス連載)らしいが、まさに全編が妄想のみで出来上がっている。映画を観終わってから、様々な「風立ちぬ」評を見ているが、主人公の薄情さを、美しさを追求する事しか出来ない創作者の残酷さを、宮崎監督に重ねて批判しているのには違和感を覚える。確かに劇中では、主人公の妹が何度となく「にぃ兄様は薄情者です!」と罵ってはいる。
 
しかし実のところ、宮崎監督自身は主人公を、自分自身をそこまで卑下してはいないのではないか。主人公とヒロインの関係は50対50(フィフティ・フィフティ)で、それどころかわがまま度で言えばヒロインの方がはるかに高い。当時の観点で言えば、いつ死ぬか分からない不治の病である結核に罹患したお嬢様より、国家の運命を左右する兵器の開発統括者の方がはるかに貴重だったはずだ。そしてその貴重な人間が、感染の危険を顧みずに共に過ごしていたのだから、主人公の妹が言うように本当の薄情者であるはずがない。初夜の際にヒロインに「(結核)がうつりますよ」と言われてもチュッチュしてたし、今の感覚ならゴム無しでエイズ患者とやる様な覚悟があったのじゃあるまいか。主人公の上司が「国策」を無視して自宅の離れを貸すなど、よくもこの二人をバックアップしたもんだ。常識ならあり得ない話ではないか。
 
また、結核患者の隣でタバコを吸うだなんて、なんという非常識で非常な男だ、そこまでしてタバコを吸いのかこのニコチン中毒め!という批判まで出ていたが、確実な死が訪れるであろうヒロインと、ずっと一緒に居る事で感染の危険がある二人は共に「緩やかな自殺」をしているのだ。そんな二人にとって、タバコの一本二本などは些細な問題なのだろう。あのシーンはその心情を描いたものだったが、宮崎監督はそんなところを批判されるとは思いも寄らなかったに違いない。
 
むしろ薄情者となじる妹は、世間の、第三者の無理解を表しているものであって、実は主人公は常人よりも遙かに深き情を持っているのだ、と表現したかったのだろう。と、素直に受け取った。そして原作漫画である「妄想カムバック」のタイトルそのままで、この映画も成り立っていると感じる。
 
男なら誰もが一度、妄想した事は無いだろうか?
 
少女と運命的に出会い、自分の存在を心に刻んでくれる事を。人付き合いの不器用さを笑われつつも能力を見出してくれる(自分の隠された実力を見抜いてくれる)環境を。自分一筋の女性の方から告白してくれる事を。愛した女に命を懸けて連れ添おうと決意する事を。そして極限まで愛し合った薄幸の美女が、自分よりも先に逝ってしまう悲劇を。そう、「あなたは生きて」と言われ死に別れ、彼女への想いを背負うというのは、何事も無く平和に生きていくよりもずっと甘美な最高のシチュエーションなのである。

いつもあなたが

いつもあなたが

女の都合? そんなの知ったこっちゃないね! これはあくまで妄想なんだからさ。妄想だから、国家から独立して兵器を開発出来ても無問題なのだ*3
 
でも、その妄想を披露する事が仕事になって、国民的アニメーション監督と讃えられるのは嫌味ではなく、凄いよなぁと感嘆せざるを得ない。
 
 
↓これは富野監督と庵野監督の対談。冒頭で宮崎監督の「紅の豚」について語られている。
逆襲のシャア友の会 富野インタビュー

庵野 僕は、映画としてはイイものもあると思うんですけど。宮崎さん個人を知っているから、そういう目で見れなくて。フィルムの向こうに、宮崎さんが露骨に見えすぎて、ダメなんですよ。つまり、カッコつけて出てるんですよ。
 
富野 何が?
 
庵野 豚という風に、自分を卑下しておきながらですね、真っ赤な飛行艇に乗ってタバコふかして、若いのと年相応のふたり(女性)が横にいるわけじゃないですか……。
 
富野 ハァッハハハハハハハ。わかっちゃったよ、言ってる意味。僕には年齢的には同年代でしょ。僕にはわかっちゃうんだよ(気持ちが)、無条件で。「困ったもんだ」という感じで、怒る気もおこらない(笑)。
 
庵野 僕なんかが言うと、凄くおこがましいんですけど。富野さんの作品は(富野さん自身が)全裸で踊っている感じが出ていて、好きなんです(コブシを握っている)!
宮さんの最近の作品は「全裸の振りして、お前、パンツ履いてるじゃないか!」という感じが、もうキライでキライで。「その最後の一枚をお前は脱げよ!」というのがあるんですよ(すでに調子に乗っている)。

この二人が「風立ちぬ」をどう評したか、すごく気になるね*4
 
 
以上、ホニャホニャしたまま、この「風立ちぬ」感想文を終える事にする。
 

*1:宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹零戦映画を酷評「嘘八百」「神話捏造」 http://biz-journal.jp/2013/09/post_2979.html

*2:反戦的、の定義は面倒臭そうなのでここでは触れない

*3:そう考えると、青い髪のアイツが出てくるロボットアニメはよく考えてやがんなぁと思う

*4:富野由悠季が語る、宮崎駿の『風立ちぬhttp://ghibli.jpn.org/report/sacla-tomino/