「国が燃える」のアレな人達2

またid:clawがまとわり付いてきて非常にウザったいわけだけど、勝手に自爆してくれてるんでこれ以上は放置しときます。
で、また右の方の話で。保守系政治団体の恥を晒すようでホントは触れたくもないんだけど(苦笑)なんて言うのかなぁ、“イっちゃてる”人が少なからずいる。昔、朝鮮総連系の集会に正体隠して入り込んだ事があるんだけど、やっぱり一定の割合でおかしな人が存在した。そん時にゃ“ああ、右だろうが左だろうが一緒だなぁ”と。
そのパターンとして、

  1. 自分の思想こそが、その集団の中で最も純粋で一番だと思っている。
  2. 集会中、議論の流れを無視して自分の主張を大声で語り出す。
  3. 自分を丁重に扱ってくれないと怒り出す。
  4. 自分に対するわずかな反対意見すら許さない。
  5. 以上の事に気を払わないと、近い思想の持ち主でも著名人だろうと国会議員だろうと激しく噛み付く(その逆は、絶賛の嵐でマンセー状態に陥る)。

例の連中がまさにそれで、靖国神社においても、拉致問題関連の集会でも所構わず暴れて主催者を困らせるので、常識を持った保守系団体から見れば鼻ツマミものの存在でしかなかった。彼らにかかると西村眞悟ですら「朝鮮人の跋扈を許す怠惰な売国政治家」となってしまうのだから。だって迷惑よ。集会をやろうとしても左翼の妨害より、奴らが来て邪魔されやしないかと心配する始末だもの。一般市民の支持を得たいのに、そういうのと同一視されるのはかなり辛いものがある。
 
ただね、“行動”そのものを否定するわけじゃない。世の中の改革、変革を成し遂げようと思ったらこれまでの規範の縛りから抜け出して、高杉晋作が言ったところの“狂”に走らねばならないのかもしれない。実際、歴史はそうして動いてきた。その言葉は思想の左右を問わず甘美な響きを持つ。三島由紀夫の小説が今もなお、幅広く支持されて事を思えばなおさら。でもねー、そりゃ己の全霊を賭して、命を捧げてという美学みたいなものを感じるからでしょ。その精神に尊さを覚える感覚は万国共通なんじゃなかろうか。
 
だがそれを奴らに感じられるか、となるとかなり疑問。その奴らの行状について詳しくは知らないはずのadoruk626氏ですら、こんな感想を漏らしている。もっとこうした、真っ当で常識的な感覚に敏感になった方が良いんじゃねえの?番組自体は観て無いが、それが発していた異様なオーラはだいたい想像出来るよ。
 
この稿続く。