小泉信者は奴隷の平和を選ぶか

(続き)
2日の拉致問題特別委員会で安倍幹事長代理は、政府に「北朝鮮に対する経済制裁に踏み切る時期に来ている」と発動を求めた。しかしながらその政府の動きは相変わらず鈍い。武部幹事長は「北朝鮮への食糧支援は実施すべき」と言い、北朝鮮への経済制裁について「簡単にできない。核弾頭やミサイルを、日本に的確に撃ち込む態勢ができているかもしれない。万が一のことを考えるのが安全保障だ」と腰砕けの発言をしてしまっている。これぞ北朝鮮の思惑通り、「北朝鮮が暴発したらどうする!?」式の恫喝にまんまと載せられてしまった。一昔前、左翼勢力が喚いていた事を今まさに小泉支持者が同意し、経済制裁が日本にもたらす危険性を声高に叫び始めている。何の事は無い、大した定見も無しに小泉の行動を賛美するだけで、そうした人達が自身のサイトで訴える「靖国神社参拝賛成」「在日参政権反対」も単なるファッションなのではないかと疑わざるを得ない。同じく「一度カードを切ったら効果が失われる」というのもいる。カードは使ってこそカード。刀をやたら振り回す必要は無いが、斬る勇気の無い術者や、抜いても斬れない竹光では困るのだ。そんな中、北朝鮮強硬派として期待されていた町村外相までもが「北朝鮮への経済制裁 発動は慎重に判断すべき」と言い出した。これもやはり数年前に「北朝鮮との交渉の場で“拉致”という言葉を使ったら、怒って席を立ってしまうので“行方不明者”と言い換え」ていたのと変わり無い状況ではないか。韓国の盧武鉉大統領が提唱する、日本ではとっくの昔に消え去ったと思われていた“太陽政策”がしぶとくまだ生き残っている。
 
改めて良く考えてもらいたい、日本政府の北朝鮮に対する圧力というのは昔からほとんど進展していないのだ。拉致被害者家族の蓮池透さんの著書「奪還」*1に描かれていたように四年前、北朝鮮への食料支援の中止を訴える家族会は自民党の議員達に冷たくあしらわれた。しかし金正日が拉致の事実を認め、被害者5人とその家族が帰国し事件の全容が明らかに成り始め、特定失踪者の問題も更に噴出してきた。なのに政府は被害者を全て返そうとしない北に対して未だに経済制裁を行おうともせず、更にご丁寧に食料支援を与えようとしているのである!ああ、チョロいよなぁ日本人って。というか小泉信者って。
 
以前、家族会の方々の拉致救出運動を「究極の祖国再建運動」と評して、小泉支持者に噛み付かれた事がある。しかしまさにこの拉致問題こそが、まさに戦後日本の思想、歴史認識、国防体制の歪みの影響を受けた事件ではないか。今月発売の「諸君!」一月号にて西村眞悟は連載の“救国の一灯”の拡大版として「なぜ、中国原潜を撃破できないのか?」という論文を載せた。イラクでテロリストに殺された日本人青年を引き合いにし、

しかし、国内に居て平穏に生活しているのに、無理矢理国外に連れ出されてて北朝鮮に拉致された国民はどうなる。この被害者こそ、平和憲法体制の犠牲者ではないか。我々はこの先も、漫然と平和憲法の犠牲者や殉教者を出し続けていいのか。

と述べた。必要なのはこうした大局を捉える視点であり、「難民が日本に押し寄せるかもしれないから」「北朝鮮の亡命政府が日本に出来ると厭だから」「税金が高騰するかもしれないから」といったレベルの低い話題で問題から目を逸らし続ける事ではない。そして家族会の一人、増元照明さんはご自身の参議院選挙の際に次の言葉を残している。(http://www.interq.or.jp/power/masumoto/)

拉致問題の本質とは、日本が日本たりうるか、ということだと考えます。拉致問題の解決を通じて、日本を当たり前の国家にしていきたい、国民が信じることができる国に変えていきたい、これが私の思いです。

当たり前ではない日本の政治体制、小泉政権の頼りなさと裏切りを身をもって体験してきたからこそ吐けるこの台詞。ブルーリボンをファッションでサイトに飾る“自称保守”の方々はじっくりと噛み締めて頂きたい。

*1:漫画アクションでも劇画化されて連載されてました