前提と結論

(id:pavlusha:20050206)さんより。

【問1】
命題1「太平洋戦争は白人に対する黄色人種の戦いであった」
命題2「日本は負けたが黄色人種は勝った」
命題3「日本人と中国人は黄色人種の同志ではない」
以上の各点を調停すると、どのような結論が導出されるでしょうか。
いくつか案を考えてみますた。
結論1「アメリカ=黄色人種、日本=白人、中国=黄色人種であった」
結論2「中国人は(少なくとも上記の諸命題で記述される)黄色人種には含まれない」
結論3「日本は黄色人種として対米戦を戦い、黄色人種ではない者として対中戦を戦った」
あとどんなのがあるだろう。「日本は太平洋戦争を戦っていない(命題2で負けたのは別の戦争である)」とかかなあ。
【問2】
命題1「中国軍は一般市民を放置した」
命題2「日本軍は一般市民を放置しない」
命題3「日本軍は広島市民を放置した」
命題4「日本軍は満蒙開拓民を放置した」
これの調停は簡単そうですね。
結論「広島市民と満蒙開拓民は、一般市民ではなかった」

論理学うんぬんは全く知りませんが、さすがに支那事変(日中戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)の同一視は無理があるのでは。また関東軍が実際に満蒙開拓民を放置したかどうかは所説あります。“結論”ありきの前に“前提”の検証が必要かと思われ。後、“中国”の定義は?とか。
 
嗚呼、“前提”に拘泥する事も、一種の幻想・宗教と言えまいか。
 
しかし本来それらは人を幸福にするべきものであるはずなのに、過去の祖国や先祖を否定する事に己の“存在”を委ねるしかないとすれば、何という悲しい教義であろうか。
 
まあ、これぐらいにしておいて。
個人的にはキリコ・キュービィというキャラクタへの魅力を感じるのは、歴史とか共同体などから切り離された人間の孤独が、描き出されているからではないかと思っている。もちろん「キリコはカッコ(・∀・)イイ!! 」と思いこそすれ、「キリコになりたい」なんて思わない。装甲騎兵ボトムズの監督、高橋良輔氏はOVA「赫奕たる異端」において舞台をTV本編の32年後に設定した。なぜ32年後なのかと言えば、TV本編でキリコの仲間として彼の人間性を取り戻す役として活躍した「ゴウトがギリギリ生きている年」だからだそうである。ここにキリコへの救いが見える気がして仕方ないのだ。