大東亜戦争への道

大東亜戦争への道

大東亜戦争への道

読み終えるのにだいぶ時間がかかった。長い間、「諸君!」や「正論」を購読していたから「通州事件」や「満州事変」、「盧溝橋事件」に「ハル・ノート」などの個々の出来事については知っているつもりだった。が、タイトルにあるように、この本は大東亜戦争という国家の威信を掛けた全面戦争に至るまでの経緯を、時系列で丹念にまとめ上げているので、当時の日本人がどういう国家戦略を持っていたのか、どういう心境を抱いていたのかが透けて見えてくるような想いだ。日中戦争からソ連との国境紛争、南進そして日米戦争を単に“無謀な戦争だ”と切り捨てる意見には元より与するものではないが、まだ自分がいかに思い込みや刷り込みに囚われていたかを認識させられた。共産主義という悪魔のイデオロギーに潜む危険性をいち早く見抜き、祖国を守る為に先手を打って対処に当たった先人達は実に偉大であった。それは、共産主義国家が次々と崩壊していった今の現実が証明している。しかしながら、その危険性を見抜く事の出来なかったアメリカとの衝突という事実にあるように連合国との情報戦に破れ、実際の戦争でも敗れはしたが、一方的に日本のみが「侵略戦争を行った“悪”の存在であった」と断罪される謂れは全く無い。著者が引用する膨大な資料は、当時の日本政府や軍部がいかに紛争を避けようとしていたか、いかに日本が他国の挑発に耐え忍んできたという事実を雄弁に物語っている。むしろ甘い、融和的な外交が招いたミスの指摘も容赦無い。だが、そうした一面に目を閉ざしてしまっている現在の日本人が、当時の日本人は愚かだった、などとどうして言えようか。今、小泉首相大東亜戦争を「あの“愚かな”戦争」と呼び、靖国に奉られている兵士を「心ならずも亡くなった人」と侮辱しながら、終戦記念日に参拝しようとしている。こんな歴史認識の総理に手を合わせられて喜ぶ英霊がどこにいようか。左翼はもちろん、小泉系エセ保守に対する理論武装という面からも、必読の書である。