軍隊の仕事は「国民を守る」事ではなく「敵を殺す」事である

沖縄戦集団自決「強制」記述に修正意見 教科書検定

文部科学省が30日公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見が初めてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたためだ。

ここから発生した議論。

◆Munchener Brucke「命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!」
◆Backlash to 1984「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論
モジモジ君の日記。みたいな。『沖縄戦「自決強制」を検定削除──また「狭義の強制」論ですか
◆Backlash to 1984お返事
モジモジ君の日記。みたいな。『keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連
◆想像力はベッドルームと路上から『自殺を強制したにせよしなかったにせよ、軍隊が「その国の国民を守らなかった」ことは事実。

これらのエントリーと付随するコメントでその流れを把握して下さい(投げっ放し)。
 
こうした議論は論点が拡散しがちだが、keya1984氏がmojimoji氏の日記のコメント欄で述べた以下の言葉に尽きると思う。

いろんな子がいるんだから、最低限、書かれていることを標準的な子供たちの能力で過不足なく理解可能な記述にしておくことが望まれます。思考や視点の選択肢を、できるだけ多く。それが肝心なことじゃないのでしょうか。

更に言えば、歴史教科書の存在意義は「自分の生きている祖国を愛するようになる」子供を育てる事ではないか。愛国心という言葉でなくとも、妙に反応する左派もいるだろうけど。
 
例えば、作家の井沢元彦は「朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任 (小学館文庫)」において「朝日新聞は、入社案内に“サンゴ事件”を載せているか」と問い、社史でもその事件に触れぬ姿勢を追及している。そんな朝日が教科書検定にケチを付ける資格があるのか、というわけだ。歴史教科書も、入社案内も、自分達の組織を好きになってもらう為に存在するのであって、誹謗中傷・自己批判をわざわざ載せる必要なんて無いはず。多面的な見方は、義務教育が終わってから好きなように養えば良い。
 
ところが、いつまでも「旧日本軍のような恐ろしい集団が、沖縄の人達を苦しめる原因を作り、自殺まで強制した。二度とそのような事態にしないためにも軍隊など存在してならない。彼らは国民を守らず、国家を守る為に戦うだけなのだから」式の批判を続ける者も多い。
 
だが、軍隊の仕事は「国民を守る」事ではなく「敵を殺す」事ではないか。そもそも軍隊が「守る」とは一体どういう事か。味方の同胞の国民の国家の生命と財産を奪おうとする敵に対し、具体的に銃弾を大砲をミサイルをブチ込んで殺す事にある。マジンガーZに登場するような電子バリアや、ドクター中松が主張するところの「テポドンをUターンさせる装置」も有り得ない中、“防御兵器”も存在し得ない。「自己完結能力」と「自己保全」が求められるこの特殊な組織には、民間人を避難させる機能は基本的に無い、と考えている。もし敵軍の侵攻を許し、無辜の民間人が殺されると言う事態を責めるのであれば「敵軍との戦いに破れた」事のみであるべきだ。そうした倫理を軍隊に求めるのも間違っている。
 
それは「専守防衛」という空虚な言葉に慣れきった国の国民にこそに宿った、奇妙な思考形態であるように思えてならない。