と、タイトルを読めば「何だこいつ、人質をかばって正当化させるつもりか?」と勘違いする人も出てくるかも。自分はもちろんそんなつもりは毛頭無い。むしろ朝日新聞の論説を始めとする「人質に対するイジメ」「市民に責任を押し付けてうっぷん晴らし」といった類の主張はためにする為の議論であり、傾聴にも値しない。ネット上にある文章を色々眺めてみても、要は「国家に文句を言いたいし、反国家運動をする自由が俺達にはあるぜ!でもいざとなったら守ってね♪」レベルの言説をこねくり回しているだけで、ウンザリするだけだ。結局、左翼の言うところの「国家VS国民」の構図や社会契約説から抜け出しておらず、一般国民の常識からのあまりの乖離は失笑を買うだけだ。単に自分達の政治的主張を押し通したいだけで、支持なんて到底得られやしない。

  • 邦人人質事件についてパウエルへのインタビュー

http://www.scoop.co.nz/mason/stories/WO0404/S00167.htm
ここからも都合の良い部分をつまみ食いをして、人質三人の行為を褒め称えているように見せ掛けているが、とんでもない文章の詐術だ。前後の文脈を捉えるのならば”citizen”は「市民」ではなく「国民」と訳すのが適当だろう*1そもそも「市民」という言葉は、古代の都市国家投票権を持ち政治に参画するとともに、兵士として共同体の防衛義務を果たす人間を指すのであって、「VS国家」の意味合いを含んだ日本のそれとは決定的に異なる。つまりパウエルは「アメリカという民主主義国家と共同してイラク派遣に出かけた日本の国民(軍人&ボランティア)」を賞賛しているのであって、むしろこの言葉を鬼の首を取ったように喜ぶのは、イラク駐留に賛成しているのだという事に全く気付いていないという(笑)。
 
で、石原都知事のコメント。

「(今度は)家族と水杯を挙げて行くんだね。自己責任があるわけですから」と述べた。」知事は「北朝鮮に一方的に拉致された被害者、家族とシチュエーションが全然、違う。わきまえてもらわなくちゃいかんし、国民の大多数もそれを感じているから、いろんな批判が起こっている」と指摘。

まあ、ごく真っ当な意見でよほど政治的思想が偏ってなければ、どうというほどの発言じゃないと思うけどね。ただ、知事の意見に一つだけ言わせてもらうと「自己責任」という言葉を使ってしまうと、かえってその裏にある国際政略という面が薄れてしまうような気がする。あくまで「イラクに出かけた善意のボランティアが偶然にも、不幸にして捕まってしまった」という前提がより一層固められてしまうからだ。実のところ、この前提は、自衛隊派遣に反対している勢力にとっては大変に都合が良いものなのである。
 

  • 人質にナイフの脅迫映像は演出 政府分析、早期に認識

http://www.sankei.co.jp/news/040418/sei039.htm

未放映の冒頭部分に明らかに事前に演技を振り付けたような動きが見つかった。このほか、武装グループが人質にナイフを突きつけたり、悲鳴を上げさせるシーンなどで、人質3人が武装グループの動きを予知していたかのような動作が数カ所あったという。

新たに捕まった人質も、反戦自衛官赤軍の庇護者であの有名な「人間の盾」の一員。
人質のほとんどが自衛隊イラク派兵反対という思想を持ち、拘束中もこの主張を行って日本の世論を変えようとした。こりゃ第2の「人間の盾」戦術だよな。日本の状況に詳し過ぎる不自然な犯行声明文と合わせれば、犯行グループと気脈を通じた日本人の存在を認めるしかない。これに気付かないまま「自己責任」論にかまけていれば、その裏にある国家の存亡を賭けた思想戦に敗北してしまうだろう。
  
昼から、友人の新居の掃除&片付けのお手伝いに。丘の上に建つ公団団地の一部屋だ。風通しが非常に良くて、今日みたいに晴れた日はまるで実家(北海道)の夏の涼しさを思い出すぐらいの心地の良さだった。周囲に緑が多いが、でも、家族がいるのならともかく独り暮らしではあまり住みたいとは思わんね。俺の場合コンビニが徒歩30秒のとこに無いと耐えられないタイプだし。引越しそばをご馳走になり、エレクター(鉄製の棚)のパチもんを抱えてその日は帰路についた。

*1:勘違いして最初は、”civilian”と書いてました。マヌケだ