またまたムーア関連で

http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040804 さんの返答への返答

よく意味が分からないんだけど、人質事件のつるしあげへの違和感書いてるから、あいつはサヨクだぜ、とかそういうくだらないことかな?
(中略)
物事にはいろんな角度や側面があるってことを見られずに、安直に正解だけが欲しがるような思想、論壇バカ的単純発想はホントくっだんねえよ。
(中略)
彼ら3人の質を見抜けるようなリテラシー訓練の必要と、甘えた中途半端なアカが世間様に迷惑かけたからと、はばかりなく苛めに走るイジメ根性の指摘は全然矛盾しない。

果してそうでしょうか。自分の知る限り、この三人や家族に対する嫌がらせなどの攻撃を批判していたマスコミ・知識人が、同時にこの事件が果して“本当の”誘拐・人質事件であったか、という疑問を呈するような事はありませんでしたが?そりゃ家族の元に脅迫電話をかける卑劣な奴なんてのは、非難されて然るべきでしょう。ですが、三人の行動やその主張を批判するもの全てに対して「あの三人に嫉妬している」等のこき下ろしばかりで、事件の真相に迫ろうとする動きは全くありませんでした。自分には、むしろ“自己責任論批判”という形而上的で空虚な論争を広げる事で、三人の(自分達の)政治的主張への非難を交わそうという姑息(誤用)な戦術としか思えませんでした*1浅羽通明の「流行神」も読んだけど、なんだかなあ。「三人への世間の批判=戦時中の非国民糾弾の空気=ウヨク」という論法って、「人質吊るし上げに対する批判=サヨク」と五十歩百歩じゃなかろうか。
  

しかし、ヘタレな多数にはそれができない。それで過度に「ナショナリズム」を必要としたりもする。生きていくために群れ、国に依存していることに対して自覚的だったという一点では、あそこでのkikoriさんの発言にも意味があった。だけど、群れるってことが、そうした弱者のエゴで、恥ずかしいことって側面もある、って自覚が、kikoriさんはじめ、最近の妙に元気な「愛国者」クン達にはちゃんとあるんだろうか?例え「みんなやっていること」だったとしても。

“「愛国者」クン達”の括弧や片仮名に、ミョーな侮蔑心を感じるのですが^^;)。まあいいや。そもそもそのナショナリズムが「過度」であるかそうでないかなんて、誰が、どういう基準で定めるんでしょうね?だいいち、やたら「国家VS国民」の二元論を振り回す思考そのものに付いて行けないというか、正直まだそんな事言っている奴がいるのかと懐かしい気持ちになるというか*2。懐かしいと言えば、はてなユーザーの言論状況を見るとまるで一昔前(五年ほど前)の政治系討論ページを思い出してしまうな。あの頃は2chは無かったはずだし、ネット界全体が現在のように保守系論調が強くなるとは想像もしていなかった。西村眞悟が所謂“核武装発言”をして物議を醸し、防衛政務次官をクビになった頃である。しかし今では普通に与野党の議員が改正を口にしてもヒステリックな攻撃を受ける事もなくなったどころか、核武装の検討を提案してもそれだけで役職を辞任する必要も無くなった。時代は変わるものだ。自分の記憶に間違いが無ければ、bakuhatugoro氏はその時代から政治討論系のページで活躍されていた名うての論客だった*3。特に含意は無いが、過去を少し振り返ってみた。
 
今、一番面白いブログはやはり「はてな」である。
 
 
・・・っと、肝心な事を書き忘れていた。「岡田氏と町山氏の立場は違う。岡田氏はアメリカに住んでいる町山氏の焦燥を知らない。アメリカに住んでいないものがムーアに文句を言うべきではない」という意見が聞こえる。でも、立場が違うのなら、当然取るスタンスが違うのは当たり前の事じゃん?そこで涌き出る“ムーア批判”へのバッシングの方が自分にとってはよほど気持悪い。岡田氏の思想に対する考察はそれなりに面白いが、ほんの数行の文章に群がってここまで騒いでいるってのもかなり滑稽。ましてやムーア、それを紹介した町山氏の神格化に物凄く違和感を覚える。いや、逆にここまでの反応を煽り、SSを引っ張り出した岡田斗司夫の言霊能力を称えるべきか。
 

*1:そもそも最初に「自己責任」という言葉を使ったのは、人質の一人郡山氏と契約をしていた週刊朝日の幹部でした(笑)。

*2:都知事は「日本は自分の中にある」という名言を残した。さすが文学者だ。

*3:間違いでしたらゴメンナサイ