「ネット右翼」と呼び捨てたい心理

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20040813) さんより。

ネット世論は保守化、右傾化したのではない、単に、差別がブームになっただけじゃないのか?と。

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20040813の記述でも思ったのだが、この方の論理は、まず「結論ありき」で単に“保守”差別をしたいだけちゃうんかと。
A:

1.共産主義、在日を批判する保守がいる。
2.共産主義、在日を差別したいだけの人間がいる。
3.保守を自称する人間は全てただの差別主義者である。

B:

1.弱者は保守化するものだ。
2.オタクはロリコンに走る弱者だ。
3.保守はロリコンだ。

両例とも、三段論法として論理が飛躍し過ぎているんじゃないのかな。特にB例の方は、3D(リアル)の女性よりも2Dキャラに関心を向けてしまうオタクの特性を論じるのならともかく、それをスっ飛ばしていきなりオタク間でしか分からない用語を活用して、最近の過激になった(?)“萌え”批判を同じオタクに向けてしまう。そこで「そりゃただの同属嫌悪じゃないの?」なんてコメントを書き込んだのだけど。で、再びA例の続きを読んでみると、「差別が反権力でカッコ良い」→「高学歴者のネット学歴差別」→「低学歴者のネット人口増加」→「在日を差別する保守の増加」、という論理の展開。ひどいな。やっぱり“保守”差別なんじゃないの?(笑)。
 
で、小林よしのりを巡る、保守間の論争はひとまず置いておいてここの記述。

しかしそこから事態はスライドし「北朝鮮けしからん」→「総連は北の協力者である」→「在日も叩いてオッケー」となり、2002年W杯で露呈した韓国観客の熱狂ぶりへの違和感「あの半島の人は南もなんか変」という感情も合わさって、既に「差別はしても良いのだ」となりかけてた事態は差別解禁、と開花した、ということではないか?

「98年以前のネット世論を覚えてますか?」「すり替わった論点」なるタイトルで、差別主義者の横行を嘆いているわけだけど、そのテの言説は、所謂“ネット右翼”は「朝日新聞」「社民党」を相手にさんざやり合ってきてるんですよ。とっくの昔に。
 
話は逆なんです。在日の犯罪行為に対する批判ですら、全て単なる差別と片付けられてきた時代を抜け出し、初めて当たり前の事を口に出来るようになった。98年以前のネット言論について語るなら、拉致事件北朝鮮の仕業だという疑念を発する事すら不可能だった当時の風潮をまず思い出すべきでしょう。それを一般的には「逆差別」と言うんですが。「すり替え」とはまさにその事。逆差別をやってきた連中がいかに偽善と欺瞞に満ちていたか、日朝首脳会談(平成14年9月17日)で日本国民全般に明らかになっただけの話です。もはや“ネット右翼”というレッテル貼りだけでは通用しなくなった。それにまだ気付かぬ存在、またはそれに気付き趨勢を取り戻そうと焦る勢力が、あのイラク邦人人質事件における「自己責任論批判」という頓珍漢な言説を振りかざした。だが、北朝鮮に拉致された日本人の人権は無視していた(している)人間に限って、イラク人質の日本人の人権擁護を叫び自衛隊撤退を訴える。その胡散臭さに気付いただけの話です。
 
いくらでも“ネット右翼”“J右翼”と叫べば良い。だが、それは自分にとっては、憐れな断末魔のように聞こえてならない。