今日買った本

・「正論」10月号
佐藤健志による「華氏911」の批評コラムが掲載。昨日の日記では、なかなか「華氏911」に対する違和感を説明し切れないもどかしさが自分に残っていたのだが、このコラムを見てすんなりとその理由が分かった気がする。さすがプロ。その中からほんの一部だけ抜粋してみます。
 
マイケル・ムーア華氏911』の虚構と現実」

しかもアメリカは、民主党政権のもとでも大義の怪しい戦争(つまりベトナム)を始めたことがあるうえ、大統領がどちらの党の出身でも、貧困層が主として戦場に送られるのは変わらないのだから、この全ては戦争の残酷さや、社会の不平等性にたいする弾劾ではあっても、特定の政権にたいする批判にはなりえないのだ。
(略)
だが本作は、観客にたいし「アメリカには政権交替ではなく革命が必要だ」という現実認識を突きつけるわけでもない。それどころか『華氏911』は、反体制的な外見とは裏腹に、「ブッシュがどれほど愚劣な悪党で、アメリカがいかにひどい状態にあろうと、これを見ているあなたは今のままで良い」(=ブッシュ失脚のため立ちあがることはない)なる現状維持のメッセージを、ひそかに発していると思われるのだ。

しかしドキュメンタリーにおけるブラックユーモアは、劇映画のそれとは意味合いが大きく違う。虚構の文脈で「笑えない事柄を笑う」のは、「これが本当の出来事だったら笑っていられない」とする含みを持つ点で、現実の世界の厳しさを再認識させるのにたいし、事実(=本当の出来事)を素材に同じことをする場合は、「現実の世界もしょせんは笑いごとだ」なる含みが生じてしまう。ついでに風刺と言う形式は、対象と距離を置かなければ成立しないため、この点でもムーアの描きだす現実は、リアリティを欠いた虚構に見えてくる。
(略)
ムーアによれば、彼の原動力は「こんな社会につきあわされるより、われわれはマシなはずだ」なる信念とのことながら、「われわれはマシ」を「われわれだけはマシ」と読み替えるや、これは傍観者な態度を正当化するものとなるのである。

フランスの映画監督で、政治的な性格の強い作品も多数発表してきたジャン=リュック=ゴダールは、『華氏911』について「ムーアが考えているほどブッシュはバカではない」と語ったものの、何かを安易に全否定することは、往々にして逆説的な形の肯定へつながってしまう点に、ムーアは気づかなかったのである。

とまあ、こんな感じで痛烈に批判しているわけだけど、これがムーアを賛美している連中の耳に届くかな。このコラムの結末において、こうした現実と虚構の認識の入り混じる映像作品というものをどう分析すべきか、という提示が為されているが、それについては今月号の「正論」を実際に買って読むべし(えぇ)。佐藤氏お得意の、押井守批判に通じるものがあるね。