自衛軍保持を明記 自民が初の改憲草案

(http://www.sankei.co.jp/news/051028/sei070.htm)

焦点の9条は、「戦争放棄」を定めた現行憲法の9条1項をそのまま堅持、「戦力不保持」を規定した2項は削除し、「国の平和と独立」を確保するため、首相を最高指揮者とする「自衛軍の保持」を明記した。1項の堅持は小泉純一郎首相が28日の協議で指示した。

自衛軍は緊急事態での秩序維持や国際協調活動にも使えるとし、海外での武力行使も可能にした。集団的自衛権は明文化しないが「自衛権に含まれる」として行使を容認。「軍事裁判所」新設も盛り込んだ。
 
政教分離は社会的儀礼の範囲を超えないことなどを条件に最高裁判例に従う内容とした。

第二章 安全保障
 
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
自衛軍
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
 
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
 
3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
 
4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

なんだそりゃ、九条の一項はそのままかよ。これじゃ憲法改正というよりは、現状の追認に等しい。軍隊は具体的な非常事態の“戦争”“紛争”の為に必要なのであって、その細目である九条二項

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

を削ったところで、小手先のお遊びのように思える。「自衛権」はわざわざ憲法に定める必要も無い自明の事であって、その“当たり前”を忘れた戦後の日本人が「個別的自衛権だ」「集団的自衛権だ」という意味の無い論争を繰り返してきた。そんな馬鹿げた意識の表れが「自衛軍」という新しい、それでいてちっとも変わらぬ呼称である。自衛せぬ軍隊など有り得るものか。
 
そして相変わらず、軍隊を官僚的に縛り付けて置きながら「軍事裁判所」の新設である。いやまあ軍隊なら必須なものであろうが、この憲法案では誰がどういう権限と手続きで裁くのかが良く分からない。軍隊とは一言で言えば、敵を殺す集団であり、その目的を達するためには一般社会とは違った倫理観がある。だから軍事裁判は、徹底した独立型・自己完結する組織を維持する為に必要なものであるはずだ。たぶん、それは世界で共有されている認識だろう。
 
だが、戦争も武力の行使も否定された国で、軍人を、軍隊の行動をどうやって裁くというのだろう?当然そこで下された判決に、一般の裁判所が口を挟むまいね?軍事には疎い自分ですら、非常にあやふやに思えてくるのだ。
 
◆眞悟の時事通信 平成17年10月23日
(http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi)

「平和主義」は平和をもたらさない
 
現在の憲法改正議論は、現憲法の枠内での議論である。何故なら、改正論は共通して現憲法の「平和主義」を尊重するといい、前文と九条一項を墨守する方向を向いているからである。
 
しかし私は言う。この程度の発想では,むしろ「憲法改正」などしないほうが良い。
 
第一に、現憲法は日本人が書いたものではなく、アメリカ占領軍将校が数日間で書いたのもである。
 
第二に、そのアメリカ軍が書いた憲法アメリカ軍の軍事占領下に制定されたものである。しかも、占領軍はその間、一方では憲法を押し付けながら、他方では言論を検閲統制し、千名を超える「戦犯」を報復処刑していた。以上の現憲法制定時の事実だけからでも、現憲法は抜本的に書きかえられなければならないこと明白である。

一体,この一項を残して二項を変える改正に何の意義があるのか不思議である。国家というものは、最終段階にくれば,「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使」を決断するから国家なのだ。だから,紛争当事国は,話し合いによる解決に努力するのである。この国家存在の中心的機能を「永久に放棄して」、二項を改正して「陸海空軍を保持」しても使いようがないではないか。また、一項を残存させれば、紛争相手国は,日本に対して話し合いによる解決の動機付けを失うことになりかねない。武力の行使を永久に放棄している日本に対しては、危惧することなく「武力による威嚇」を露骨に実施できることになる。
 
事実,北朝鮮は「東京を火の海にする」といい、中国海軍は、東シナ海および尖閣諸島周辺に軍艦を繰り出してきているではないか。

「話し合えば分かり合える」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」幻想(フィクション)に浸っている政治家達が国家の運営を担っている現実があるからこそ、自国民を取り戻すという拉致問題の解決にまで至らない。国家を背負う、という意識が全く無い小泉総理だからこそ、憲法九条一項を残し、先の戦争で散った英霊達を「心ならずも戦地に赴いた」などと容易く侮辱するのだ。靖国参拝東京裁判日本国憲法も同質の問題だ。全ては一つに繋がっている。
 
というか、そもそも憲法改正自民党の党是なのだろう?これで憲法改正と言えるのか?言えまい。まずは日本国憲法前文を改め、顔を洗って出直して来い!
 
[追記] ここに新憲法草案があるようだ。新しい前文はそれなりに評価出来るか?圧政や人権侵害と戦う、と謳っているのだから、拉致事件という最大の人権侵害に立ち向かう姿勢を見せるべきだ。くれぐれも人権擁護法案を成立させて、他国民の人権侵害だけを救うのだけは止めて欲しい。