日中首脳会談

思ったよりは穏やかな感じ。
 
◆日中首脳、戦略的互恵関係で一致
(http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061008AT3S0800F08102006.html)

安倍晋三首相は8日、首相就任後の初めての外国訪問として中国を訪れ、北京の人民大会堂胡錦濤国家主席と約1時間20分、会談した。これに先立ち温家宝首相とも会談。双方は日中が国際的課題で共通利益を追求する「戦略的互恵関係」の構築で一致。北朝鮮の核実験阻止に向けた日中の緊密な連携も確認した。安倍首相は胡主席、温首相らの訪日を招請。中国側も原則的に同意した。首脳会談を目的とした日本の首相の訪中は2001年10月以来となる。
 
小泉純一郎前首相の靖国神社参拝問題で冷え込んだ日中関係はひとまず関係修復に動き出した。
 
胡主席は「靖国神社に(小泉前)首相が行かれて、中国、アジアの人の感情を傷つけた。靖国問題については政治的障害を除去してほしい」と要請。安倍首相は「我が国がかつてアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与え、傷跡を残したことに対する深い反省の上に戦後60年の歩みがある。その思いはこれからも変わることはない」と応じた。

  
◆協力関係発展で一致 日中首脳会談
(http://www.sankei.co.jp/news/061008/sei002.htm)

安倍晋三首相は8日午後、政府専用機で北京入りし、人民大会堂で中国の胡錦濤国家主席温家宝首相らと会談した。安倍首相は「日中両国は未来志向で戦略的互恵関係を築くべきだ」と強調し、協力関係を発展させる考えで中国側と一致した。北朝鮮の核実験声明については「絶対に容認できない」と述べ、核実験阻止に向け、両国が連携していくことを確認した。靖国神社参拝では、参拝するかどうかは言及しないとした上で「適切に対処する」と述べた。
 
胡主席は会談の冒頭、「首相が最初の訪問国に中国を選び、中日関係の改善と発展を重視する姿勢を評価したい」と歓迎。今回の訪中を「中日関係改善の転機であり、新たなスタートになることを期待する」と述べた。安倍首相は「初めての訪問先に中国を選んだことは、日中双方が両国関係を極めて重視していることを示す」と応じた。
 
安倍首相は歴史認識について、平成7年の「村山談話」を踏襲する姿勢を示し、「わが国の戦後60年間の平和国家としての歩みを正当に評価してほしい」と述べ、中国側も理解を示した。さらに、両国の有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることを提案胡主席も同意した。
 
また、中国側は「政治的障害」として靖国神社参拝自粛を求めたが、安倍首相は「日本の多くの歴代の総理は国のために亡くなった方々に対して哀悼の誠をささげ、平和を願い参拝してきた」と説明し、今後の対応を明言しなかった。
 
また、安倍首相は会談で胡主席と温首相に早期の訪日を招請、両首脳も前向きに検討する考えを示した。また、胡主席と11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議(ベトナムハノイ)で、温首相とは12月の東アジア首脳会議(フィリピン・セブ島)でそれぞれ再会談することで合意した。

日中の“歴史共同研究”って。何てもんを提案してくれちゃったんだ。抗日記念館を見学させられたりなどの“股くぐりルート”こそなかったものの、やっぱり中国側は靖国参拝自粛を求めてきた。言質こそ与えなかったものの、こりゃ首相の間は安倍総理は参拝しないとみた。結局、台湾問題は議題に上がらなかったんだろうか。外務省の正式な議事録の公開を待つしかないようだ。
 
・・・ん、待てよ。日本の有識者って誰を当てるつもりなんだろう?ああ、なるほど、これの事か。
 
西尾幹二のインターネット日録「「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(五)」
(http://nishiokanji.com/blog/2006/09/post_376.html)

読者が知っておくべき問題がある。八木秀次氏の昨年暮の中国訪問、会長の名で独断で事務職員だけを随行員にして出かけ、中国社会科学院で正式に応待され、相手にはめられたような討議を公表し、「つくる会」としての定期会談まで勝手に約束して来た迂闊さが問われた問題である。中国に行って悪いのではない。たゞ余りに不用意であった。

 
西尾幹二のインターネット日録「「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(七)」のコメント欄の書き込み
(http://nishiokanji.com/blog/2006/09/post_379.html)

初版本の精神は、その「序章」の「歴史を学ぶとは」の冒頭の「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである」と云う一文に凝縮されている。
 
正しく初版本の記述からは、当時の吾が国政府や国民の思いが切々と伝わってくるが、リライトされた第二版本の記述からは、ニュートラル振る筆致が鼻に付き、時にはアメリカの立場を過度に忖度する一方、吾が国政府の苦悩や焦燥、国民の歯軋りや怯えなど緊迫した息づかいを伝える表現は、手際よく切除されているように感じられる。正しく、岡崎氏のリライトにより初版本の精神が封殺されてしまったことを実感する。
 
確かに、岡崎氏は、外務省や防衛庁に勤務され、最後は特命全権大使まで勤め上げられた有能な外交官ではあるが、やはり本質は行政官僚なのであろう。行政官僚は、政治(政権)の命ずるところを承け、「政治的妥当性」を念頭に「行政文書」を理論構成する。それが行政官僚のバランス感覚なのであろう。
  
その第二版本が、側聞するところによれば、扶桑社の意向により、更にリライトされると云う。その、更なるリライトの執筆陣は、岡崎氏・八木氏を中心に扶桑社において選定すると云う。かつ、扶桑社において「教科書」を担当するM氏は、盛んに主要な都府県・都市の教育行政担当者を訪ね、「扶桑社版」教科書の問題点の指摘や注文を聴き取り、そこに力点を置いてリライトを進める姿勢であり、段取りであると云う。
 
そのような動きが事実であるなら、即ち、扶桑社側が、「つくる会が執筆した教科書を扶桑社が発行する」と云う従来からの関係を一方的に覆し、現に存在する「つくる会」を無視して、名実ともに「扶桑社版」教科書を作るつもりであるのなら、それは信義則に違背する理不尽な行為以外の何者でもなく、また、そのようにしてリライトされる内容も、初版本の精神からいよいよ遠ざかるものであることは、論を待たないところであろう。

ふん、この辺りにヒントがあるのか。