安倍批判、それはそれこれはこれ


政治家に対する評価は、経済政策なら経済政策に対する批判を与え、その歴史観が間違っていると思うのならその都度指摘すれば良いだけの事。小泉前総理に関しては、経済政策・拉致問題歴史認識に対して全て反対したまで。その小泉信者の気質をそっくり受け継いだのか、安倍総理の「村山談話」「河野談話」の継承、「台湾独立」の否定などの諸問題について批判すると、アンチ安倍のレッテルを貼るアホがいる。しまいには「お前は小泉信者か」「親・福田康夫め」とまで言われたりした事もある(この俺が!)。せめて西村狂信者と呼んではくれまいか。
 
それはそうとまだ確証は得てはいないが、北朝鮮が核実験に至った理由は、安倍首相の訪中を目の当たりにし、日本と(その背後にいるアメリカと)中国が手を組んで金正日政権の転覆を計っているのではないかという猜疑心の故ではないのか。そう考えると、拉致問題解決の為に「手打ち」の儀式、「手土産」としての偽装中国従属もアリと言えばアリと言えなくもない。だが、失ってはならない国家の誇りを守る為に声を挙げるのも「保守」たる努めではないだろうか。
 
◆Dr.マッコイの非論理的な世界「安倍擁護は戦術的にも間違っている」
(id:drmccoy:20061011#p1)

もし安倍首相よりも右側の集団がいなければ、安倍首相が一番右端だと認識されます。そうなると、一般の国民は逆に安倍首相を警戒するはずです。
 
ですから、安倍首相の答弁を「リアリズム」とか「戦略的後退」とか「現実路線」だ何て言って今から擁護しているのは、戦術的にも明らかに間違っていると言わざるを得ないのです。
 
この「怯え保守」の特徴は、目先の事しか見えない、長期的展望がほとんど無いということです。常に目先の不安(例えば安倍首相の支持率が下がるとか、次の参議院選挙で勝てないかもしれないとか)ばかりが常に頭の中にあるものですから、将来日本がどういう道を歩んで行くべきかとか、将来的に村山談話河野談話をどうすれば修正してゆけるのかとか、そういう事まで頭がまわらないのだと思います。

「安倍支持者は安倍批判を躊躇するな!」から続く力の入ったエントリーです。小泉時代から続いてきた「自民政権を批判すると売国勢力が伸張してしまう!」という萎縮の構造を鋭く指摘しておられる。しかしながら、こうした新聞記者のブログもあります。↓
 
◆国を憂い、われとわが身を甘やかすの記「安倍内閣歴史認識を示す政府答弁書
(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/53911/)

ときの政府や政治家が歴史をもてあそび、半端な知識で決めつけるべきではないという安倍内閣の考えが表れていますね。それが、結果として「あいまいさ」にも結びついているのでしょうが、私はこれでいいと思います。

近頃人気の高い、産経新聞社のiza!で記者ブログを書かれている阿比留瑠比さんのエントリー。同じ、西村真悟をよく知る人物として批判するのは気が引けるけれども、やはり産経新聞の記者として批判すべき事を放棄しているのではないかという疑念を持ちました。同じ感想を抱いておられるのが、こちら。↓
 
◆Dogma_and_prejudice「安倍内閣歴史認識を示す政府答弁書?」
(http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/e/badc06ab50c961ccb35e605e79223101)

私も読んでみましたが、残念ながら、この答弁書を読んでも「政治家が歴史をもてあそび、半端な知識で決めつけるべきではない」というような明確な主張をそこに見出せませんでした。
 
もし、仮に安倍内閣の考えが、そのようなものであったとしても、それは、やはり、国会の場で、主張しなければ意味の無いものです。
 
さらに言うなら、「政治家が歴史をもてあそび、半端な知識で決めつけるべきではない」という事を本当に主張したいのであれば、一政治家の歴史認識に過ぎない「村山談話」や「河野談話」に対して、政府として、これを踏襲するつもりはないと言明せざるを得なかったのではないでしょうか。

上田真司さんのツッコミは極めて真っ当かと思います。「“安倍談話”を発表する気はないのか?」と問われても拒否したのなら、なおさら「村山談話」「河野談話」に対しては「我が政権は歴史解釈を宣言するつもりはないので、これらの談話に関しても触れる事はない」という宣言が必要だったのではないでしょうか。
 
それはそうと、今、得意げに「安倍さんは最後の砦!批判は控えて、信じていきましょう!」と言っている人達って「救出運動を国民運動とする為に、経済制裁を押し付けるのは止めよう!選挙で勝った小泉さんを批判するのは控えよう!」と言っていなかったっけか?