尖閣ビデオ流出問題に対する私見 その2

●民主主義の意味

この海保職員の行動について「公務員が政府の定めた手続きを無視した行動をすると民主主義を崩壊させ、戦前の日本の様に戦争への道を歩ませる」「政府に問題があるのなら、選挙という手段のみを行使すべきであって、それ以外の方法は民主主義を否定するものだ」という言動が目立つ。
 
この方達の言う民主主義の定義が広すぎて、イマイチ理解出来ないのだが、「政府=国家ではない」という事を、まずは言っておきたい。
 
たかが一政体に、しかも自国のこれまでの歴史を否定的に捉える事しかして来なかった政府に、勝手に国家を代表されても困るんだけれども。
 
しかも、国家権力が国民の正当な権利を侵害しようとするならば、それに抵抗する自然権保有している、というのが日本国憲法の精神、日本国憲法が大好きな方達の政治思想では無かったか。
 
公務員が政府や国家の方針に反対しないのが民主主義の要件とするならば、あの北朝鮮ですら民主主義国家と言えてしまう。国名に“民主主義”って入っているぐらいだしね!
 
個人的には、民主主義国家の必要条件は「“物言い”自体を認める」国家であると思っている。
 
今回の映像流出を受け、その秘密保全の罰則が軽いからといって突然改正しようとしたり、自衛隊施設で民間人で民主党への批判発言を封じ込める事務次官通達を出した事を言論封殺には当たらない、という仙谷官房長官の発言を見る限りでは、民主主義からはほど遠い、としか言い様が無い。

●ジャーナリストの姿勢

この数日の間、マスコミに登場したジャーナリストではっきりとこの海保職員の行動を正当なものとして支持したのは、左系では鳥越俊太郎ぐらいだった。
 
海保職員ビデオ投稿「ルール逸脱」か「免罪すべき」か

尖閣ビデオ」をユーチューブに投稿したと見られる海上保安官の行為について、コメンテーターの若一光司(作家)と鳥越俊太郎(ジャーナリスト)の間で議論になった。
 
若一は原則論を述べる。
 
小泉政権下、中国で反日デモが吹き荒れた際に『愛国無罪』と言われたことを思い出す。国を思う気持ちがあれば、ある程度の脱法行為は認められるとされたとき、法治国家なら違うだろうと言ったことを思い出したい。国家的組織の一員として守るべき原則的ルールがある。愛国無罪に流れてはいけない」
 
鳥越は反論した。
 
「報道機関が日々やっている仕事は全部、違法行為だ。国家公務員が知り得た秘密をどうやって入手できるか、日夜、務めている。それが国民にとって意味があるということで免罪されている」

テレビ朝日のワイドショー「スーパーモーニング」でこのやり取りを見ていたが、正直、鳥越の政治観が好きではないものの、これがまともなジャーナリスト魂だな、と思った。
 
尖閣ビデオ流出問題に対する私見 その1」(id:kikori2660:20101114)で紹介した、◆外務省機密文書漏洩事件 最決昭和53年 5月31日刑集32巻 3号 457頁とは、俗に言う「西山事件」であり、被告の西山太吉は鳥越の毎日新聞記者時代の先輩である。
 
まあ、日米密約の情報を取る為に、女性外務官僚を酒で酔わせてコマしたというサイテーな取材手法はさておき、公務員がどんな事情であれ、秘密を漏らす事が即違法とされるなら、公務員の内部リークを期待出来なくなってしまう。そうなってしまえば、自分達は国家犯罪に立ち向かう機会を失い、スクープを取れなくなると考えるからだ。
 
それが“巨悪に斬り込む”ジャーナリストとして一貫した思想であろうと思うのだが、同番組にビデオ出演した魚住昭などは、五・一五事件を持ち出して海保職員を批判していた。
 
 
なので、この事件をしたり顔で五・一五に喩えるマスコミ人や左巻きの人を見掛けたら「あ、こいつは国軍的だったり反共的なものに対して噛み付きたいだけの、考える能力の無いアホだ」と判断して結構ではなかろうか。