亀田くんのアレ

昨日、日記に「亀田興毅」と書いたらどんでもない数の来客数が。後はその対戦相手の名前とか「八百長」とか「鬼塚勝也」でスゴい事に。
 
◆19歳の亀田興毅さんが、その人生を賭けて、私たちに教えてくれたこと
(http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/08/03_054106.html)

最大の課題は、視聴率の取れるスポーツ系のイベントが欲しいTBSと、一連の亀田さんの一件で何が起きているのかを見極めることです。そうなると、今回の判定単体の問題ではなくて、厳重警備の元で行われた今回の試合会場に訪れた人たちの顔ぶれは、いったい何を意味していたのかが重要になります。敢えて極論を言うのならば、1920年代、マフィアの主たる財源であり続けたブロンクスのボクシング界とそう変わらない(賭けはない代わりに、放映権、つまりTBSの信用を元にスポンサーからTBS経由でどこかに流れる仕組み)。

まだ自分が十代の頃、ボクシングジムに通っていた時期がありました。そんな最中、札幌中島体育館でボクシングの興行が行われる事になったので、その設営に借り出されたのを覚えてます。
 
怖っ。一緒にリングを組むオジさん達はことごとく独特のオーラをまとってたんです。しかもリングポストを、せえーのっ、で持ち上げてみて、ふとその手元を見てみると小指が欠けている人が多かった*1。「おい兄ちゃん、もっとしっかり持てよ。俺こんなんだから力入んねえんだよ」って(笑)。ま、そこで人生経験の少なかった少年が少しだけ貴重な体験をした過去を思い出したわけです。
 
ちなみにその日のメインイベント*2はあの元世界チャンピオンの薬師寺保栄選手とジムの先輩・米坂淳選手の試合。日本ランカーのこの二人のどちらが勝っても日本王座への挑戦となる重要な試合でしたが、最終ラウンドに薬師寺選手のラッシュを受けダウン、そのまま意識不明となり、米坂選手はその数日後に亡くなりました。テレビ局やジムの力で世界チャンピオンになる幸運な男もいれば、ジム葬も渋られた上、名を知られる事なくこの世を去る男もいるという事です。

*1:絵人間

*2:違った、リック吉村選手の日本タイトルマッチだった