五年前の事件について

秋祭りの最中に尖閣と検察に怒っている国民(眞悟の時事通信 平成22年10月4日)

なお、例の大阪地検特捜部の逮捕された検事(以下、容疑者という)は、平成十七年暮れの私の逮捕起訴されるにいたった事件を捜査主任としてつくりあげた者である。本日もこの検事に関して取材を受けたし、既に数社が私に聴いてきている。そこで、私も憤りとともに振りかえっている。そして、今になって、「ああ、やはり、あいつが仕組んで事件にしたのか」と腑に落ちることがある。

なお、私の事件の出発点は、私の当時の政策担当秘書が友人の男を私の法律事務所員にするように私の前に連れてきたことから始まる。私は秘書が友人だと言って連れて来たので信頼していたが、この男は、私の指示から離れて私の知らないところで私の弁護士名義を使った。このことに関して、この男を監督すべき立場だった私は、深く痛恨の思いで反省している。これが私の認める弁護士法違反である。しかし、だからと言って、私が組織犯罪取締法に違反する、つまり、マフィアの親分が部下に悪いことをさせて巨額の金を吸い上げるのと同じことをしたという検察が作ったストーリーを受け入れるわけにはいかない。後にこの公訴事実については私は無罪となり検察は控訴を断念した。つまり、検察は本来起訴すべきでない事件を起訴したことを認めたのだ。

そう、鈴木(秘書の友人)が欲の皮を突っ張らせたのが全ての発端。西村に鈴木を引き合わせた当時の政策秘書の方も痛恨の極みだっただろう。

5、ある日担当検事は、私の主張する一文を調書に記載してくれた。私は、それが真実だから調書に書くのは当然だと思っていた。しかし、翌日会った担当検事は、上司にこっぴどくしかられたと言ってしょげていた。真実を読んで担当をしかった検事とは、自分に都合のいい虚偽を強制する者であり、日付を偽造したあの容疑者ではなかったのか。
6、ある時点から、担当検事は、私は西村さんと上司の板挟みです。私はピエロですと言い始めた。妙なことを言うやつだと思っていたが、上司が容疑者なら板挟みで本当にピエロだったのだろう。
7、担当検事が後日、検察庁内で自殺未遂をしたと報道で知ったとき、やはりあいつは悩んでいたのかと痛ましく思えた。

この自殺未遂に至るまでの経緯をたった今、知った。まさかこの様な事情があったとは。以下はその事件を伝える報道。
   
西村真悟事件担当検事が割腹自殺未遂

大阪地検取調室で検事が割腹自殺未遂 仕事に悩み ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061211-00000086-mai-soci&kz=soci
11日午前9時半、大阪市福島区福島1、大阪中之島合同庁舎大阪地検取調室で、総務部検事(44)が、腹から血を流して倒れているのを事務官が 見つけ、119番通報した。検事は病院搬送され、命に別条はない。遺書があるため、福島署は、自殺を図ったとみて動機を調べている。未明に自殺を図ったとみられ、胸や腹に3カ所傷があり、右手に包丁を持っていた。執務時間になって出勤しないため、事務官が捜した。検事は、春まで地検特捜部に在籍し、西村真悟衆院議員の弁護士法違反事件担当。遺書に、仕事で悩みを抱えたと書かれている。 毎日 12月11日20時29分
 
(別ソース) 検事が割腹自殺未遂 修習生指導担当 ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061211i204.htm?from=rss 12月11日14時27分 読売
11日午前9時55分、大阪市福島区大阪地検から、大阪中之島合同庁舎執務室で検事が急病で倒れたと119番通報があった。救急隊が駆けつけたところ、総務部指導係の男性検事(44)が腹から血を流して倒れており、病院搬送した。命に別条はない。近くに刃物が落ちており、福島署は、自殺を図ったとみて調べている。執務室は、25階建て庁舎の9階。検事は、94年に任官し、東京地検を経て、05年に大阪地検特捜部に在籍。今春から、総務部で司法修習生の研修を担当。庁舎に救急車が駆けつけると、職員は「一体何があったのか」と飛び出すなど騒然。総務部は、報道陣の取材に、「こちらでは対応できない」を繰り返すばかり。関係者は「まじめなタイプで、どうしてこんなことになったのか」と話した。

割腹自殺とは尋常じゃない。
 
再び「眞悟の時事通信」に戻る。

8、私が平成十七年の暮れに、逮捕という強制捜査を受けるとき、資料を集めて、検察と違う考えを持っていた大阪府警の刑事は、私に、西村さんの事件は、東京とここが仕組んでいます、と符号で図示してから、頑張ってくださいよ、と言った。大阪府警は、検察特に容疑者の歪な功名心を知っていたのではないか。私は、今でも、資料をもとに検察の方向とは異なる判断していた大阪府警は、分かってくれていたと思っている。

ここの「大阪府警」はあくまで、鈴木の単独犯という判断を下しており、西村に対しても「先生も、名義を勝手に使われて迷惑な事でしたなぁ」とすら言っていた。
id:kikori2660:20051128#p2 を参照の事。)

9、しかしながら、平成十七年十一月から、これでもかこれでもかと繰り返されたマスコミ報道は、私自身が、これは私のことではない、だれかとの人違いではないかと思うほど真実とはほど遠かった。しかし、その嘘によって、私は、全くマスコミの世界では悪者になっていた。したがって、強制捜査に乗り出した検察は、「正義の味方」とされた。そこで私は、担当検事に聴いた。「こんなことが報道されていた。あなたは、今となればそれは虚偽だと分かるだろう。一体、検察の誰が、このような嘘をマスコミに流したのか。」担当検事は、報道内容に驚いた様子で、いえ私は知りません、と答えた。
 
今となれば、あの容疑者と東京が、私に関する嘘をマスコミに流していたとしか考えられない。

8.と9.の「東京」とはまあ、東京地検特捜部の事……じゃないよね、やっぱり。
 
大阪地検特捜部にGOを出せる東京の機関とはどこか。大阪府警が犯罪性を認めていなかった、非弁行為が蒸し返されたのはどういうわけだったのか。
 
逮捕直後は何を言っても、根拠の無い陰謀論として片付けられたが、やはり当時の官邸(小泉政権)の意向があったのだと思う。拉致被害者の家族の中には、特別な情報を持っていなくとも、西村逮捕をご存じになってから、すぐに飯島秘書官に対しての怒りの言葉を発した方が居たそうだ。
 
 
ふう。およそ五年経ってから、ようやくこの事を大っぴらに話せる様になったよ。