竹村健一の「拉致問題は小事」論。

最近、フジTV「報道2001」でコメンテーターを務める竹村健一が言い出し、ネットでもその発言に同意するものが多い。発言者本人は必死で「拉致問題がどうでもいい、だなんて言っているわけじゃないよ」と強調するが、どう言い繕っても「北朝鮮がミサイルを落とすかもしれないんだから、国交正常化して経済援助してあげたら?」という論旨に違いない。以前にも「北朝鮮の核は”理”の問題だが、拉致問題は”情”の問題だ」とも言っていた。要は「国家の存亡がかかっている時に、拉致被害者家族の”矮小な”事件ばかりを追求するな」と言っているに等しい。馬鹿を言うな。この拉致問題にこそ国家の存亡、日本政治の堕落が全て凝縮されているではないか。百歩譲って拉致問題が小事だとしても、その解決がいつまでも出来ないようでは北の核問題、北東アジアの平和だなんてお笑い草だ。
 
ますもと照明候補が演説を始める際には必ず「何故、ただの犯罪被害者家族である自分達が自ら救出運動の為に日本全国を走り回り、政治活動を行わなければならないのか」という心からの叫びを発している。それは本来、政治家の仕事ではないのか、自分達だけではなく国民をも裏切ろうとしている現在の日本政治は何かが狂っているのではないか、という怒りがヒシヒシと伝わってくる。その想いは、たまたま通りがかった多くの人々の足を止め、候補との熱い握手を巻き起こしている。
 
昨日絡んできた共産・社民大好きオールド・マルクスボーイは論外としても、拉致問題で苦しむ人間を冷笑し、己こそが国家の大局観を持っているんだという思い込みは勘違いも甚だしい。まず同胞を救う為に動け。少なくとも、会った事も無い”悲惨な”イラク人の為に反米活動を叫ぶよりもよっぽど為になるだろう。
 
そう言えば、竹村の「拉致問題は”情”の問題」という発言に対して、西村眞悟小林よしのりの反論が面白かった事を記憶している。西村は「国家という、社会共同体を形成するにおいて”情”を決して無視してはならないんだ。これを忘れた共同体は崩壊する」と言い、小林は「拉致問題で家族が主張している事にこそ、国家を成り立たせている”理”があるんだ」と述べた。表現は違うけれども、言いたい事は共通しているのではないか。小林よしのり拉致問題について具体的に語ったのはこれが唯一だったと思う(「戦争論」以降では唯一まともな事を言った)。今では、左翼陣営に引き込まれて、あのインリンとかいうエロテロリスト?のサイトでは罵倒の対象から外され、代わりにその座を西村に譲ったようだけど(笑)。昔、こんなイベント*1に関わった事もあるが、やっぱりあの時に二人がガチンコでバチバチ戦う質問をもっとぶつけた方が良かったんじゃないかなぁ、と思ったものだけど、今でもその考えは正しかったと確信している。
 
とこんな感じの日記を書いていますが、昨日から始まった新シリーズの「マリみて」を見逃してヒジョーに悔しく思っております。でも「プリキュア」はちゃんと観てました。ギャハ(金城武風に)

*1:http://www.nj-tokyo.net/ivent_tex/17.swf 最初で最後のフラッシュムービー。今ではもうソフトの使い方も覚えていない。