小泉政権の次の生贄と西村発言について その2

やっと見終わりました。しかしハマコーと政界時代劇はツマラないから、早いとこ止めて欲しいな。西村の喋る時間が少なくなるし。だいたい西村は、他の発言者に話す機会を譲り過ぎる。もっと声をデカく張り上げて、相手が諦めるまで続けないと・・・。しかし唯一笑えたのが、石原一族に討ち取られた松原ジンジンジン。仰向けに死んだはずの武者がむっくりと起き上がると、九死に一生を得て“比例復活”。選挙に落ちて間もないのに、あんな演技をするなんて図太過ぎますわ(笑)。それだけの根性を持ち続けられるのなら、次の選挙は間違い無い・・・と思う・・・?
 
それはそうと、この西村発言。
◆「狙撃」発言 口に出すおぞましさ
(http://www.asahi.com/paper/editorial20050917.html)

マネーゲームの世界に国民をなだれ込ませているのが小泉なんです。あれは狙撃してもいい男なんです」

2年前、日朝交渉を担当する外務省幹部の自宅で爆発物を模した不審物が見つかった。その際に、石原慎太郎東京都知事は「爆弾を仕掛けられて当たり前」と述べた。私たちはこの発言を「テロ容認そのものだ」と批判した。

ネットでこの記事を見た時は「うわーまたやっちゃったー」と苦笑してしまったが、TVタックルの映像を観る限りでは、周囲も「困ったなぁ」という和やかな雰囲気だったし、あのジャスコも苦笑していて、それほど糾弾されたという感じではなかったので拍子抜けした。でもやっぱり塾生の一人とすては一年に一度くらいはこの「うわーまたやっちゃったー」ってのが無いと物足りなくなっawsrdtふhじこlp。ただしかし正直な感想を言うと、もうちょっと言葉を選んで欲しいなと思う。このテを発言を過剰に報じて、拉致問題に関わる人物をバッシングする風潮に、微塵も隙を見せてはならない。
 
これに類する言葉は以前から直接聞いていた。しかしそれはあくまで「国会議員たるもの、いざ国益を失えば国民から命を奪われる事も覚悟せねばならない。それほどの緊張感を常に持っていなけえばならない」という主旨であった。もちろん高橋是清原敬などの過去の政治家が念頭にあった。
 
それを考えると、就任以来現在に至るまで多くの日本の国益を失わしめてきた小泉純一郎にはそれに相応しい末路があると思う。狙撃という直接的なものは必要無い、いずれ天罰が下るだろうと考えている。特定の宗教の神様は信じてはいないのだが。逆に今、小泉を殺せばこの男は永遠のヒーローになってしまう。これだけは決して許してはならない。殺されてもよい、と言い郵政改革を行うならば、横田早紀江さんの言うように、それよりもはるかに重要な拉致問題の解決、金正日と対決しないのか。小野田寛郎さんの言うように終戦記念日における靖国参拝を行わないのか。“狙撃してもいい男”が民主主義否定のテロ容認発言とするならば、北朝鮮という拉致事件を始めとする国家的テロ活動を行ってきた北朝鮮への経済援助、国交正常化に勤しむ行為こそ最も悪質なテロ幇助行為ではないのか。