エクストリーム・聖火リレー終了

◆想像力はベッドルームと路上から:『聖火リレーin長野』スタート&ゴール地点状況まとめ(id:inumash:20080426:p1)
 
痛いニュース(ノ∀`):【長野・聖火リレー】 “チベット派”、警察の指導によりゴール地点・若里公園に入場禁止”。でも中国国旗はOK…ゴール

安全上の理由により、警察によりチベット国旗がゴール地点に入るのは禁止。
チベット派は公園の裏側(ゴール地点とは別)に約200人が集められてる模様。
あとで聖火も見える地点に誘導するとの話があったが、警察は約束を守らなかった模様。
なお、中国国旗は禁止されていない。
おそらく、ゴール地点でのマスコミの映像は中国1色になる模様。

ほぼ予想通りだった。だが、さすがにチベット派に嘘を付いてまでトラブルを防ごうするとまでは想像しなかったけど。
  
長野・聖火リレー3000人警備 青ジャージー隊お断り

現時点では、同県警は県内の警察官の半数近い約1500人を動員。200人を超える警視庁の機動隊員や、周辺県警の応援を受ける方針を決めた。コースとなる車道への立ち入りは、妨害行為の可能性があるとしてすべて制止する。

この記事の「青ジャージー隊お断り」の部分だけを読んで、長野県警GJ!とか言っているヤツは何なのだ、と思ってた。むしろ、中国による聖火防衛隊の入国要請に、プライドをいたく刺激されたニッポン警察が逆に頑張り過ぎちまうだろう、と。
 
実は「トラブルを未然に防ぐ」というニッポン警察の大目的の遂行の為に、このチベット派を隔離するという作戦は、あまりに理想的、効率的過ぎる。そしてあまりに割り切り過ぎていて、他国の警察からすれば「その発想はなかったわ」状態じゃなかろうか。もちろん、悪い方の発想の転換である。
 
聖火リレーを邪魔する派と歓迎する派のどちらに聖火を見せて安全かと言えば、そりゃ、歓迎する派に決まっている。ましてや、双方が接近する事によって起こるトラブルを避けようとするなら、わざわざ邪魔する派を呼び寄せるわけもない。アカい旗を持った集団を優遇するのが必然の流れだろう*1
 
しかし、当然の事ながら「日本国民の安全を守る為の国家組織の姿勢として、それで良いのか?」という疑問は残る。
 
 
以前にも、同じような釈然としない想いを抱いた事があった。以下は、数年前に北朝鮮による拉致被害者家族やその支援団体が、万景峰号入港に対して抗議活動を行なった際の顛末である。
 
◆ふっとぼうず「2003年9月4日 万景峰号入港

拉致被害者関係者が横断幕を出そうとして警察関係者と対立。
傷害罪や器物破損にならない範囲での抗議はもっと幅広く認めるべきじゃないかと思うのだが、新潟県警はかなり抑制的だっった。
その後ろで、総連関係者は悠々とこちらを眺めている。ここは日本じゃないのか??

 
増元照明ウェブサイト「これだけは言っておきたい」2005.6.28

「万景峰92」が接岸し、船窓から覗く「朝鮮学校」の生徒たちが見えた。修学旅行の帰りなのであろう。これは、言いたくなかったが、毎回、毎回、「船窓から見える生徒たち」が、懸命に訴える人々に対し「バ〜カ」と口の動きでわかる言葉を投げかけたり、嘲笑しているところが見えるのである。私たちは、家族の命のかかった問題を訴えているのであり、そして懸命に訴える人々を嘲笑するような人間を作る教育は受けてこなかった。喩え、自分たちの母国に対する抗議であっても「必死で訴える人」を嘲笑するような教育はなされてはならない。朝鮮学校の先生や学校長に言いたい。貴方たちは民族のアイデンティティーを保つために朝鮮学校を作り、子弟の教育を行っているのではなかったのか?「懸命な人々を揶揄」するような行為が半島人アイデンティティーなのか?貴方々の母国が「日本人を拉致したこと」ことは事実であることを忘れていないか?貴方たちに責任の無いことは充分知っている。私たちは貴方たちと争う気持ちは持っていない。日本で共生していくつもりがあるのなら、「人として」やってはいけないことは教えていただきたい。

詳細は割愛するが、トラブルを未然に防ぐ為にはどんな理由であれ「抗議側の活動を押さえ込む」というのが長野に限らず、ニッポン警察の常套手段なのだ(なんかカタカナで連呼するとサヨ臭いな)。
 
この屈辱を覚えていた人々にとっては、あの「エクストリーム・聖火リレー」の無残な敗北は別段、不思議でも何でも無かっただろう。そう、これは紛れもなく、屈辱なのだ。
 
「ここは日本ではないのか?」
 
そんな当たり前の怒りや無力感を抱く人々の心は、いずれ集結して、大きな力になっていくだろう。

*1:だから極右よりも、極左集団の中の跳ね返り的なヤツが聖火リレーに乱入して、逮捕されるんじゃないかと思っていたくらいだ