もはや思想戦

「歴史観」講座の廃止も視野に 防衛省(→ウェブ魚拓

しかし講師に「新しい歴史教科書をつくる会」の福地惇副会長(大正大教授)と高森明勅(あきのり)理事(日本文化総合研究所代表)の二人も選ばれていたことが判明。「つくる会」は日本の侵略戦争や植民地支配への反省や謝罪などを「自虐的」などと批判しており、福地氏は日中戦争前に中国大陸で日中双方が軍事衝突した上海事変について「シナ側が企てた戦争挑発の軍事行動」などと講義した。

防衛省は当初、講師の人選や教育内容を見直す方向で検討していたが、省内から「偏向した歴史観を根づかせる『田母神学校』と批判されても仕方ない」(幹部)と講座の廃止を求める声が浮上した。また浜田靖一防衛相は二十八日の記者会見で同学校の運営全体についてチェック体制の強化に乗り出す考えを示した。

おっとろしいなー。国の防衛を司る省が、政府が敵国の歴史観に従う思想統制を行うのかよ。しかしそれはさておき、北海道新聞がどうして「上海事変」を取り上げて、田母神批判を続けるのか、ちょっと考えてみた。
 
上海事変(→Wikipedia

(第一次)上海事変(だいいちじしゃんはいじへん)は1932年(昭和7年)1月28日以降に中国の上海国際共同租界周辺で起きた日華両軍の衝突である。

共同租界の市参事会にとっては、日本軍の動きより上海市街の外に野営する十九路軍のほうが重要だった。3個師団、3万人以上を擁する十九路軍は5年前にあった上海クーデターにおける国民党軍を思い起こさせ、上海市が警戒心を持つのも当然だった。

ところが、1月9日に「民国日報」という新聞が、前日に発生した桜田門事件に関する不敬記事を掲載し、また1932年1月18日午後4時ころ、中国人と見られる者によって日本人の日蓮宗僧侶の天崎天山、水上秀雄と信者3人が三友實業社付近で襲撃され、水上は死亡し、2名が重傷を負った。中国の警察官の到着が遅れたため、犯人は逃亡した(現在ではこの犯行は日本側に雇われた中国人によるものと見なすのが定説である。詳細は上海日本人僧侶襲撃事件を参照のこと)。

ごく普通の感覚でこれを読めば、日本軍は悪意の込められた挑発にしばらく耐えた上で、上海の租界及び民間人を守る為に、兵力で勝る十九路軍を相手に多くの犠牲を払って奮闘したんだなと感じるはずだ。田母神論文を批判する手合いの人間は、まるで平和な中華民国を暴虐なる日本軍が襲って、いかに罪も無い民衆の命や財産を奪いまくったかの文脈で語る事が多いようだが。「国際協調路線」とか言ったって、軍動かさなきゃ日本人殺されちゃうんだもの。そりゃ国民もマスコミもノー天気な政治家見限って「暴支膺懲」叫ぶようになるわ。
 
その後に続く項目を読むと、もの凄い違和感を覚える。
 
◆田中隆吉の証言

田中の愛人であった川島芳子は中国人の殺し屋を雇い、1932年1月18日の夜、上海の馬玉山路を歩いていた日本人僧侶を襲わせた。
 
中国人が日本人僧侶を殺害したという事件は、日ごろから中国人に反感を抱いていた上海の日本人居留民の怒りを爆発させ、青年団が中国人街に殴り込みをかけ、各所で暴力事件が続発したため、上海の工部局は戒厳令を敷いた。上海の日本人を保護するために派遣されていたのは海軍陸戦隊の約1000人だったが、中国側は3万5千人だった。治安悪化で日本人が不安に駆られる中、田中隆吉の工作による発砲事件が引き金で、1月28日、蔡廷鍇が率いる19路軍と戦火を交えた。

つまりこの自作自演とも言うべき、日本人僧侶殺害で「上海事変」を起こし、張作霖爆殺件で「満州事変」を起こし、中国を「侵略」した日本軍の悪逆無道さは明らか!ってわけですか。
 
……と思ったら、この川島芳子の生涯を描いたドラマが今度の土曜日にテレビ朝日で放映されるとか。
 
◆「男装の麗人
ふーん。テレ朝のワイドショーで、この川島芳子の娘を名乗るおばあさんと取り上げたりと、キャンペーンに必死のようだけど。……おそらく、劇中ではこの「上海日本人僧侶襲撃事件」工作に奔走する川島の姿を描くんだろうな、きっと。で、「私のしている事は正しいのだろうか!?」と苦悩するシーンが目に浮かぶようだ(笑)。純粋な少女の人生を翻弄して、めちゃくちゃにした昔の日本ってヒドいよねって感じ!?あー見えてきた見えてきた*1
 
というわけで、北海道新聞のこの報道はテレ朝ドラマ「男装の麗人」の露払いじゃねーかと思ったわけだ。

*1:原作の小説は読んでないので何ともだが