暴力装置や法務大臣の辞任、北朝鮮の砲撃とか

恐ろしい。例の失言騒ぎで柳田法務大臣が辞任したが、その後を仙谷官房長官が兼任するって。まだ無能な大臣の方がはるかに良かった。この官房長官は外国人に利益を与える事に関しては超絶的に有能だからな……。極左*1が去って、また検察のトップに極左が舞い戻ってきた。しかも拉致問題担当大臣も兼任だから、もう頭が痛い。
 
この害に比べたら「国会答弁は二つで足りる」程度の失言なんてどうだっていいわ。でも今朝のテレ朝のワイドショー観てたら、「言葉の揚げ足取りは良くない」とか「下らない批判は止めて真の国民の為になる議論を」なんて言ってんの。
 
まさにお前らが言うな、ってヤツだな。漢字の読み間違え程度で自民党の総理をさんざ叩いていたのはどこのどいつだよ。自民党時代と同じく、民主党の閣僚の事務所費問題が出てもスルー(それ以前に、番組内では自民党政権時代失言の方ばかりを取り上げて、民主党のそれは大した事ではない様な印象操作をしていたのだが)。
 
しかも「国会審議をストップさせて予算を人質に取るな」とどの口が言うか、だ。
 
【朝鮮戦争】菅首相「しっかり事態を把握しなければならない」と語り、おもむろにテレビをつけて見入る
 
ま〜た虚構新聞かよ、と思ったら、マジだったよ!!
 
隣国で戦争が起こり掛けている時(正確にいうと朝鮮戦争はまだ終わっていないが)に、それどころか当事国になりかねない時に、一国の首相がテレビで情報を得るって。首相官邸は一体何の為にあるんだよ!
 
ほんの数日前に、仙谷官房長官の「自衛隊暴力装置」という発言があって、政界でもネットでも話題になっていた。
 
自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる: 極東ブログ
 
とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
 
マックス・ウェーバーとかレーニンなどの著作を持ち出して、暴力装置という言葉の解釈やら、自衛隊暴力装置である、いやただの暴力である、などと侃々諤々しているが、かなりどうでもいい
 
ウェーバーの本は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)」ぐらいしか読んだ事無いけれども、暴力装置だなんて、現実的な使われ方としては諧謔的な学者や文学者の物言いのレベルだろう。「職業としての政治 (岩波文庫)」の一文が金科玉条になっているわけでもあるまいに、何故そうした表現を殊更ありがたがるのかが分からん。
 
以前、石破議員が同じ言葉を使用した際は、
 
週末日程、「暴力装置」発言: 石破茂(いしばしげる)ブログ

一部報道にもありますとおり、私自身、昨年三月の朝日新聞でのシンポジウムで「国家の定義というのは警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の一つの定義(原文のまま)」と述べております。
 
原典はマックス・ウエーバーの「職業としての政治」なのですが、外国語による著作を引用するときは、原文にあたらないと、訳語のニュアンスで誤解を招きかねないので、これからもっと私も注意しなくてはなりません(ウエーバーの著作には他にも「装置」という訳語が多く出てきます)。
 
私の発言はあくまで政治学上の定義を引用したうえで、「何故北朝鮮で、あのようなテロ行為が起こるのか」を論じたものであり、国会において、自衛隊を、名指ししたものではありません。

とまあ、割と妥当な手順を踏んでいる感じではある。
 
でも、前述のブロガーの両人とも、国家=暴力装置である、という定義は一致しているんだよね。まさに、国家を動かす政府の長たる総理大臣はその暴力装置のトップであるし(しかも統帥権という意味では戦前の首相より権限が強い)、仙谷はそのナンバー2であり、野党の一議員とは立場がはるかに異なるだろうに。生来の、赤気質が思わず出ちゃったってレベルの話だよね。さすが「文化大革命」を肯定的に使うだけの事はある。
 
ま、必死で仙谷の暴力装置発言を擁護している類の人は、そうした基本的な思考能力に欠けているばかりか、数年前の森元総理による「神の国発言」なぞは狂った様にバッシングしてたんだろうな〜と容易に想像出来る。
 
で、最後には「言葉狩りは良くない(キリッ」だもんね。脳みそどうかしてると思うよ。