人権擁護法案と油濁法 〜この二つの法案に賛成する人々に共通した病理 その8

さて、民主党から出ている人権救済法。
◆人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案大綱
(http://www.dpj.or.jp/seisaku/jinken/BOX_JK0037.html)

委員長及び委員の任命に当たっては、男女いずれか一方の数が3名未満とならないように努めるとともに、NGOの関係者、人権侵害を受けた経験のある者等を入れるように努めるものとすること。

擁護委員どころか委員に必ず「人権侵害を受けた経験のある者」を入れなきゃいけないとは凄杉。こりゃもちろん認められるもんじゃないが、だからといって自民党案がオッケーという論理にはならないわけで。たしかに民主党には部落解放同盟との結び付きが強い。同じブス女ならマシな方を〜というのは分からんでもないけど。でもね、無理して選ばなきゃいけないという前提からしておかしい事に気付かない人が多いこと多いこと。しかも「この法律が成立しないと、虐待される子供達を素早く助け出す事が出来ない」などの卑劣な論理を展開してくれます。
 
ところで、こんな事を言っている人がいますね。
◆バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳「制度自体の有無と悪用防止論」
(http://www.amaochi.com/yae_log073.html#050727)

本来ですね、「この法律(制度)は悪用されるから廃案にしろ」という議論は無茶苦茶なんです。

例えば、いつの時代になっても偽札は無くならないワケですが、これをもって「悪用されるから貨幣制度は廃止しよう」とは誰も言わないワケです。貨幣制度を、少なくとも紙幣を廃止すれば90%は偽札が無くなるでしょうが、しかしこんなコトは誰も言わないですよね。

もちろん、その制度が必要かどうかの議論はあってしかるべきで、その上で必要ないとされれば作る必要もないのでしょうけど、しかし基本的にその制度が必要であると結論づけられるのであれば、「悪用されるかどうか」の議論をする際には「ではどうすれば悪用されづらくなるのか」という中身の議論になるワケでして、決して「制度を作るべきかやめるべきか」というところまでには及びません。それは「必要かどうか」という議論で結論づけられているワケですからね。ですから「悪用されたら」という議論は「必要かどうか」という議論とはまた別の話なのです。

既に最初の方のエントリーで同じような事を述べましたが、社会にとって絶対に必要な貨幣制度と、その根幹部分も怪しげな人権擁護法案を同列に並べる事自体がおかしいのに、更にその後に「必要なものである」という前提で、この人の中で勝手に「結論」になってしまっている。これこそ無茶苦茶な論理飛躍だと思うんですが。別の日の日記では同和問題を取り上げ、日本に差別が残っている事実を指摘しているが、それは本当に客観的なデータなのか、人権委員会という存在の監視によって取り締まるべき性格のものなのか、それらを全てスッ飛ばして「必要」と「結論」して良いものなのか。逆にそうする事で、“無くすべき”差別の実態が薄れてしまいはしないか。同措法のように人間の欲により、本来の目的を逸脱したものに変化する法律ではないか。そうした複雑な見極めが必要であるのに、一足飛びに「必要」と言い切る精神は全く理解出来ないんですよね。しかも、この日に書いてある日記では、地元の例を挙げてこうおっしゃっている。

これが広島の惨状なのです。たった一枚の紙切れ、法根拠も全く無いような、こんな合意文書一枚で、広島の教育は滅茶苦茶にされたのです。もちろん、八者合意によってもたらされた事件や悲劇は、これだけではありません。詳しくはこちらからお調べいただければと思いますが、このように、解同が“実権”を握ればどうなるのか、ちょっと広島の事情を知っていれば、それはとてもおそろしいコトになってしまうのだと簡単に予測できるのです。このような実例がたくさんあるのに、それでも今まで以上の権力を渡しても大丈夫だと言えるのでしょうか。やえにはどうしても言えません。これは予想でも想像でもなんでもなく、過去に実際にあったコトなのです。

人権擁護法案が通れば、日本全国でそれを根拠に活動を行い、各地方に人権条例の制定の動きが確実に強まるでしょう。法的根拠が無かった時でさえ、こんな有り様になった事を教えて下さってます。
 
ところが一転、新しい日記の方に戻るとこう述べてます。

この辺はバランスなんだと思います。このバランスというモノは、法治国家としての歴史の中での経験から、この制度に対してはこれぐらいの整備をする必要があると、暗黙の法則のようなモノが出来上がってきます。

あ、あの、するとやえさんの地元、広島は法治国家には属されてなかったんでしょうか?あの悲壮感が漂うまでの文章との整合性はどう行っちゃったんでしょうか。
 
法治国家にバランスや暗黙の法則があるのだとしたら、まず「必要かどうか」のバランスを問うべきだと普通に思うのですが、前述の通り、既に「必要」というスタンスが出来上がってしまっている。また虐待などの事件と、在日のいわゆる“就職差別”問題を一緒くたにして良いものかの議論も必要ではないかと思わざるを得ない。というか、そんなに字面を読む事が好きなら分かるはずなんだけど、

人種、信条、性別、社会的身分、門地等を理由として不当な差別的取扱いをしてはならないものとすること。
* 政府案大綱の「民族、障害、疾病、性的指向」による不当な差別的取扱いも当然含まれる。

2 特別救済手続
(1) 特別な人権侵害行為
人権委員会は、次に掲げる人権侵害について、(2)の措置を講ずることができるものとすること。
ア 第1の5(1)の差別的取扱い
イ 人種等を理由とする不当な差別的言動、地位利用を伴うセクシュアルハラスメント

各項目でド頭に掲げられている通り、主目的が“在日の救済”である事は明白でしょ。左翼系団体に属する人がそれを言い立てるならまだ分かるんだけど。数々の懸念を投げ打ってでも守らねばならない在日の差別って一体何なんだろう?その疑問に対して左翼以外の人々は明確に答えられるんだろうか?まさか、国籍条項によって東京都管理職試験を受けられなかった在日女性が起こした訴訟があったけど、それに対しても適用されると考えているんだろうか?是非、その答えを聞いてみたいもんです。
 
というわけで、このエントリーの結論を述べておく。
 

  • 法律とは、語句を並べれば願った通りの働きをする言霊では決して無い。
  • その言霊と効果を信じ失敗したのが油濁法であり、人権擁護法案を危険では無いと判断している人も同じ轍を踏む。そのメンタリティには現実を無視した同じ甘さがある。
  • 人権擁護法案の危険性を知るには過去の事例に学べ。同和利権問題という格好の歴史を忘れるな。