まだやるのか「自己責任」論議。

もういちいち反論するのも疲れたな。というわけで、自分と同じ意見の人のサイトをお手軽に紹介と転載で済ませちゃおう(笑)。これを読んでもまだグダグダ言う奴を見掛けたら、ああ、あの三人の解放の真相から目を逸らさせる為に必死になってるんだな、と思っていれば良い。

  • 酔夢ing Voice

http://www4.diary.ne.jp/user/401628/

■2004/04/22 (木) 自己責任論は、メディア権力への反乱
 
朝日新聞を初めとする一部メディアが必死なって行っている「自己責任論」否定キャンペーンは、メディアという権力が足元を揺すぶられた事に対する卑怯で傲慢な仕打ちだ。だが、そんな事をやればやるほど彼らは国民の気持ちから離れ、ますます胡散臭いものとして忌避される。なぜ、人質事件で「自己責任」という言葉が出たのか? 人質たちの主張を支持する人たちは、その原因を虚心に受け止めなければ、陰謀論でしか片付けられない。壁の中に引きこもるのをいい加減に止めたらどうだ? 「自己責任論」は政府やメディアという権力から出されたものでなく、国民から自然発生的に産み出されたものだ。

■2004/04/23 (金) 報道テロリズムに屈するな
 
「郡山氏が人質になったとき、 朝日の入館証を持っていることから、郡山氏が朝日の記者では? と話題になった。 その際、いち早く記者会見を開いた朝日は、郡山氏が朝日が労務管理上責任がある社員ではない。労務管理上からも、あらゆる点で、彼の行動、活動に朝日は責任の取りようがない。ゆえに自己責任で活動するフリーの立場の記者だという事を強調していた。今回の件に関し、もっとも早く、彼等に自己責任論の現実を突きつけたのは、 他ならぬ朝日であった。」

http://www.sankei.co.jp/news/040423/morning/column.htm

▼確かに国家には国民保護の責務がある。しかし退避勧告を無視して行動する人は、国としても面倒見切れません、自分が責任をとって下さいよ、というのも仕方がない。いやむしろ当然ではないか。その点に知らん顔して論じている。
 
▼二つは、人質の多くは反戦活動家といわれている人で、日ごろは国家や政府を否定し批判している。その人たちが、いざ困った時は国家が自分を助けろというのは少々虫が良過ぎはしまいか。だが家族は「個」の責任をそっちのけにして「公」の政策変更を声高に要求した。
 
▼それに対し違和感や嫌悪感をおぼえたのが世論なのである。“被害者たたき”でも何でもない。国民のごく普通の感覚であり、気持ちなのだった。しかもテレビのキャスターやコメンテーターは、家族の無分別をたしなめるどころか一緒になって政府を責めたり、批判したりした。