安倍首相の訪中はアメリカの指令か

気になる記事があったので、久しぶりに長文を手打ちで転載。というわけでネット上のソースはありません。
 
産経新聞「検証---日中首脳会談」10月13日(金)朝刊14版

  • 「予定調和外交」から脱皮

首相として5年ぶりの訪中を果たした安倍晋三首相。日本との関係修復を急ぐ中国は国賓級で首相を迎え入れ、8日の北京は歓迎ムード一色に染まったが、水面下ではギリギリの駆け引きが続いていた。北朝鮮問題などをめぐり、東アジア各国が外交戦略の転換を迫られる中、外務省が主導してきた「予定調和」の日本外交が終焉したことは間違いない。(石橋文登
 

    • 幻のあいさつ

8日夕、温家宝首相主催の晩餐会の直前。胡錦濤国家主席らとの一連の会議を終え、人民大会堂内の一室でひと息ついていた首相の表情がサッと険しくなった。外務省高官ふぁ「中国の意向」として、あいさつの修正を求めてきたのだ。「なぜ私のあいさつの内容を中国側が知っているんだ?」。首相の問いに高官は押し黙った。「こちらは温家宝のあいさつを把握しているのか?」答えはなかった。相手の機嫌を損なわないことを最重視してきた外務省の「外交術」がかいま見えた瞬間だった。「それではあいさつはできないな・・・」。首相の一言に高官らは狼狽したが、首相は頑として譲らず、あいさつはキャンセルとなった。この夜、安倍、温両首脳らが和やかに談笑する様子が世界に報じられたが、両国高官にとっては居心地の悪い席だったようだ。
 

    • 会談の心得

首相の訪中を2日後に控えた6日、麻生太郎外相は衆院予算委員会の最中、首相にそっと手書きのメモを差し入れた。「首脳会談の心得」。要点は①両手で握手しない②お辞儀はしない③政府専用機のタラップは夫人と並んで降りる---の3つ。首相と麻生氏がもっとも懸念したのは、歴代政権のように「友好」の甘言につられ、中国側に「朝貢外交」の演出されることだった。首相は握手の際、笑顔を見せたものの、視線は相手から一瞬も離さなかった。さらに首相は一計を案じた。相手より長く離すこと。中国は古来官僚国家であり、文章をもっとも重視する。聞き役に回れば、書面上は「負け」ということになるからだ。温首相は会談の冒頭から漢詩などを引用し、とうとうと話し始めた。首相はそれ以上に長い時間をかけて話を続け、特に歴史認識靖国神社に対する中国側の婉曲な批判への反論にはたっぷりと時間をかけた。外務省が作った想定問答はほとんど無視され、会談時間は予定の1時間から30分もオーバーした。中国側が「日本人は聞き役で、うなずくだけだ」と考えて会談に臨んだのならば、大きな計算ミスだったといえる。首相は最後に、練りに練った「殺し文句」を放った。「過去の歴史の問題では、わが60年の平和国家としての歩みに正当な評価を求めたい」。温首相から「評価している」、胡主席から「信じている」という言質を引き出した事は大きな成果だろう。
 

    • 共同プレス会見

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」
首相は訪中前、周囲にこうつぶやいた。訪中をを指すのかどうかは分からないが、首相にとって、訪中は今後の政権運営をにらんだ大きな賭けだった。それだけに首相は慎重姿勢を貫いた。中国側の招聘は先月30日だったが、首相が決断したのは3日。しかし、正式発表の土壇場でもギリギリの攻防があった。中国側が急遽、正式発表の際に「政治的障害を除去し」という言葉を使うよう求めてきたのだ。首相は会談延期をにおわせて拒否、最後は中国側が「除去」を「克服」に変えることで折れた。発表が4日午後にもつれ込んだのはこのためだ。会議の文書化をめぐって暗躍が続いた。中国側は文書に固執したが、首相は難色を示した。平成10年の小渕恵三首相と江沢民国家主席による「共同宣言」では、過去の責任と反省を示す「村山談話」が盛り込まれ、その後の対日批判に利用されたからだ。中国側は訪中前日になって大幅に譲歩してきた。「歴史を鑑に」という常套句は「双方は歴史を直視し」に変わった。日本側が主張する「未来志向」「東シナ海問題の協議」「北朝鮮への憂慮」も加えられた。それでも首相は慎重だった。外務省側は会談前に「共同プレス発表」を交わすことを公表する考えだったが、中国に向かう政府専用機内でその意向を示された首相は「会談が終わるまでは絶対にダメだ」と譲らなかった。会談次第では、文章の破棄も念頭においていたようだ。結果として、首脳会談は日中両国とも成果を強調できる形で終わった。だが、もしギリギリの攻防を回避していたら日本側に果実はあっただろうか。会談後、中国の武大偉外務次官は日本の高官にこうささやいた。「安倍首相が手ごわい相手だということは前々から分かってしましたよ」

手放しの安倍絶賛。確かにこれまでの対中国外交を振り返れば大躍進とも言えなくもない*1 *2。・・・が、あまりにもレベルの低過ぎる話。そもそも麻生外相が、わざわざ予算委員会の真っ最中に安倍首相にアドバイスのメモを渡した、というのも胡散臭過ぎる。何だそりゃ。授業中に教師の目を盗んで手紙を回す学生かよ。まあいいや、一応本当という事にしないと、これからの論理展開も出来なくなるしな(笑)。
 
そもそも「胡錦濤江沢民時代から続く過剰な反日政策を捨てたがっていた。だから日中首脳会談はむしろ中国が望んでいた事であり、靖国参拝をはっきりさせない安倍首相の外交政策は素晴らしかった」という多くの保守系ブログの主張は正しいのか。・・・本当は、その多くは、安倍晋三が「村山談話」「河野談話」を継承すると宣言した時に、彼の政治信条とは全く異なるはずのこの発言に、何か圧力が掛かっているのではないか、と不安を抱いていたのではないか。朝日新聞が◆「ニュー安倍 君子豹変ですか」という手紙形式の社説を掲載した事に対して「キモい」を連発していたが、ただお笑いで済ますだけでいいのかね?
 
中国の言い分をそのまま進言する外務省高官、しかしそれを拒否し必要以上に媚びる事を拒否した安倍首相。確かに少しは日本の外交は変わったのかもしれない。しかし一国の首相とあろうものが、昭和天皇玉音放送の引用を呟いていたという事実は、「村山談話」を継承した上での訪中を本当は望んではいなかった、という視点も当然生まれよう。その一国の首相に歴史観の転換を迫り、外国訪問を強いる事が出来るのは誰か。その存在は極めて限られているだろう。
 
西尾幹二のインターネット日録「北朝鮮核問題(一)」
(http://nishiokanji.com/blog/2006/10/post_386.html)
西尾氏のブログに寄せられたゲストエッセイからの抜粋。

日本では、何故「アジア外交の再建」が執拗に叫ばれるのか。又、何故、昭和天皇のご発言に係わる、富田メモが絶妙のタイミングで公表されたのか。
 
米国議会は何故、唐突に民主党議員が「日本の次期首相靖国訪問しない」旨の発言を要求し、従軍慰安婦非難決議を下院委員会が行った。それが、安倍首相の訪中訪韓が決定すると、下院は、従軍慰安婦非難決議を取り下げた。何故なのか。
 
米国が、米国の意図に背く、「太陽政策」を採ってきた反米韓国の、外交通商相の国連事務総長就任を何故認めたのか。裏になにもなかったのか。
 
安倍政権発足と、急遽の訪中訪韓の決定。何故、中国は態度を急変させ首脳会談を受け入れたのか。これらの事柄は命脈のない出来事ではない。

北朝鮮の核実験は、米、中、韓いずれにとっても、金正日の追放の大義名分は整った。
 
何よりもこれは、イラクで苦戦するブッシュ政権にとって起死回生となる。
 
米国は、中国、日本、韓国を巻き込み、北朝鮮処理の最終段階に入りつつある。
 
中国は、北朝鮮への自国の影響力が及ぶ、緩衝地帯が北朝鮮に存在すれば、金正日政権でなくともよい。満州吉林省には、朝鮮族自治区もある。傀儡政権も考えられる。韓国政権はレームダックとなった。日本に金正日政権の崩壊に反対する勢力は皆無である。米国が日本に靖国従軍慰安婦の唐突な要求は、「急いで中韓とうまくやれ」のシグナルである。それがどうやら成功しつつある。
 
米国が望むのは、最早6カ国会議の再開ではない。北朝鮮による、核実験の実施である。朝鮮半島問題、東アジア問題は大きく転換しつつある。

それを受けた西尾氏の感想。
 
◆「北朝鮮核問題(二)」
(http://nishiokanji.com/blog/2006/10/post_387.html)

前回の足立誠之氏の所論からいえるのは、米中両国が一つの方向に向かって動きだし、安倍首相の訪中訪韓はそのシナリオに沿って行われたということである。私もそう考えていた。
 
中国の経済はいま瀬戸ぎわぎりぎりの資金欠乏に悩み、米国は中国の経済破産を望まず、さりとて中国に核兵器輸送の自由な活動などを決して認めない。
 
米国は中国を生かさず殺さず、中国経済を破産に追いこまない代りに、北朝鮮の処理を米国の望む方向で中国に解決させようとしている。核実験という北の暴走は、これを実現するうえでいわば絶好の好機であったのかもしれない。だから暴走ではなく、核実験を含めて米国のシナリオだったという説があるが、そういう奇説を私は採らない。
 
中国を生かさず殺さずにするには今の中国には資金の輸血が必要であり、米国にその余裕も、意志もない。米国はむしろ資金引き揚げに少しづつ向かっているときである。
 
日本にまたしても期待される役割が何であるかは明らかである。安倍首相が小泉氏とは違って、北京で異例の歓迎を受けた理由は明々白々である。
 
安倍氏が首相になって「真正保守」の化の皮が剥がれる変身をとげたのは、それ自体は驚くに当らない。私は前稿「小さな意見の違いは決定的違いということ」(二)で、「権力は現実に触れると大きく変貌するのが常だ」と書いたが、その通りになっただけである。
 
ただそれにしても、歴史問題で彼が次から次へ無抵抗に妥協したのは、日米中の三国で「靖国参拝を言外にする」以外のすべてを事前に取りきめていたのではないかと疑われるほどの無定見ぶりだが、恐らくそうではないだろう。妥協なのではなく、あの政治家の案外のホンネなのかもしれない。
 
政治家は思想家と違って行動で自分を表現すると前に書いたが、いったん口外した政治家の言葉は政治家の行動であって、もう後へは戻れない。村山談話河野談話、祖父の戦争責任等の容認発言は、「戦後っ子」の正体暴露であって、恐らくこういうことになるだろうと私が『正論』10月号でこれまた予言した通りの結果になった。
 
しかし解せないのは、中国は日本の資金を必要としているかもしれないが、日本はいま緊急に中国を必要としていない。国家の精神を売り渡すようなリップサービスをするまでの苦しい事情は日本にはない。
 
とすれば、足立氏も書いている通り、また私が「小さな意見の違いは決定的違いということ」(六)(七)で示した通り、「中国とうまくやれ」という米国のサインに過剰に応じたのであろう。遊就館展示問題から従軍慰安婦問題まで米議会が介入して来た要請にひたすら応じ、中国にではなく、米国に顔を向けて、言わずもがなの発言を繰り返したと解するべきだろう。
 
米国に対するこの種の精神の弱さは次に何を引き起こすであろうか。

さすが西尾、一味違う。以前、コメント欄にこんな感想を書き込んだ事があったっけか。
 
ところで、故・小渕総理の日中共同宣言については、◆毒吐き@てっく「1998年の日中共同宣言 -小渕総理の名誉のために-」でフォローされています*3

*1:でも故・小渕総理が共同宣言に署名したというが本当だろうか。江沢民の要求に対して文書化を断固拒否した、と保守系論壇誌で評価されていたはずだったが?

*2:「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言 」 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_98/c_kyodo.html

*3:検証・日中首脳会談の記事に関して、てっくさんのアップがちょっと早かった。手打ちで苦労した時間が勿体無かったw