リファ

昨日の日記について、自分と同じ最低野郎*1(笑)であるid:pavlushaさんからレスを頂きました。
http://d.hatena.ne.jp/pavlusha/20040418#p2

国民統合において最大限の寛容と平等とを「国家」に求めるラディカルな共和制の理念は、そのような理念の至高性に対する「信仰」という形で、現在のアメリカ「<帝国>」のあり方をほぼ直接的に支えているのであり、これはコインの裏表のように、決して切り離すことが出来ません。

パウエルの真意についての解釈は、おっしゃる通り私と同じ捉え方をしていると思われます。これこそがアメリカを支え、力強く押し上げている原動力であり、核そのものですね。有名なケネディの大統領就任演説に

「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」

というくだりがあります。まさにアメリカの精神、その国の有り方を端的に表わすものでしょう。あまりにもその強烈な輝きで、日本人の自分としては時々目が眩む想いをする事があります。ですが本当にそれが普遍的で素晴らしいものか、と問われれば否と答えるでしょう。それは宗教のごとくの強力な理念の縛り、浅い歴史が醸し出す軽薄さを感じずにはいられないからです。逆に、日本の方が自由で柔軟な社会のように思えるくらいです(ここで二つの国家の優劣を問うのは愚問でしょう)。
 
今回の事件は、反国家的日本人と中東の犯罪集団が裏で手を結んでいる事が明らかな為、「自己責任」という言葉を使って邦人人質を扱う事はかえって彼らの擁護となってしまう、なのでそれを避け徹底的に真相を追及すべき事を昨日の日記で述べました。それはそれとして、石原都知事の「(危険なイラクに行くのなら)家族と水杯を挙げて行け」という発言はいかにも日本的、で好ましいと言うか、これが偽らざる一般的な日本人の心情ではないか。この当たり前の感情を無視して、自分の政治思想に都合良くパウエル発言をつまみ食いしたところで、冷たい視線を向けられるのがオチだろう。水杯を挙げろ、という意見の示すところは「邦人人質には”覚悟”が見られない」という事だろう。ロバート・キャパのような戦場カメラマンが今もなお尊敬を失わないのは、ひとえに命を賭けて良い写真を撮る、という信念があってこそだろう。あのエセ「自称カメラマン」「自称ジャーナリスト」には到底到達出来ない境地だ。
 
マスコミがいくら誘導しようとも、若者はネットで意見を述べ情報を交換し合っている。西尾幹二*2が「朝まで生テレビ」に出演し、「ネットによってマスコミの嘘がばれる」と喝破した事態が今まさに起こっている。サヨクの皆さん、「ウヨクの若者は自分では何もモノを考える事が出来ない、差別主義者」というレッテルを貼り続ける限り、あなた方の運動がますます崩壊の速度を増すばかりですよ。いや、それを痛感しているからこそ、こんな馬鹿げた狂言誘拐事件を起こしたのだろうね。
 

*1:装甲騎兵ボトムズ」を愛する同志を指す言葉

*2:http://nitiroku.hp.infoseek.co.jp/